富士川が思い起こさせてくれたこと


朝から厚い雲に覆われ断続的に雨。きのうに続ききょうもシニアのスポーツ大会。きょうは屋内スポーツで雨の影響なし。市内のシニアの健康フェスタ。ボッチャと輪投げの大会だ。5人1組のボッチャチーム。わがチームはトーナメントを4回勝ち進み5回目の決勝で負け。準優勝だった。


きょう9月21日の誕生日の花はノハラアザミとラジオ深夜便。ウォーキングの道すがら林縁の草むらでよく見かけるアザミ。これがノハラアザミではないかと思う。スズカアザミとキセルアザミは昨年の秋豊田・矢並湿地で撮ったもの。きのう9月20日の誕生日の花はヤブランラジオ深夜便と伝えていた。



大学生活のため上京する時ラジオを持って行った。電気の周波数(ヘルツ)が多治見60ヘルツ、東京50ヘルツと違っているためスイッチの切り替えをした記憶がある。先日、山梨県下部温泉で1泊し翌日富士川に沿って下り、河口にある由比漁港で昼食をした。その時出た話。昔はこの富士川糸魚川を結ぶ線を挟んで東と西で電化製品のヘルツが違って不便だったなぁ。それで、冒頭の話を思い出したのだ。


学生時代の友人に豊橋出身と四日市出身の者がいた。多治見出身の自分と名古屋圏出身の3人が話をすると美濃と三河の言葉は当然違いはあるものの大した違和感はない。四日市はまるで違う。関西系だ。木曽川を越すだけで何でこんなにちがうのや?木曽、長良、揖斐の「木曽三川」から関ヶ原にかけてのあたりが東日本と西日本の境界があるということだろう。



言葉の違いもさることながら、食文化の東西の違い、その分岐点はたいがい関ヶ原あたりになるようだ。角餅と丸餅、濃い味と薄味、鰻の蒲焼、白ネギと青ネギ、そばとうどん・・・・。


電気の周波数が50と60に分断されたのは当時の発電機を輸入したのが米国からかドイツからかによるものだが、箱根の山や富士川の急流でもともと地形的に分断されていたことによる現象だろう。言葉や食文化の分岐点も三つの大河や養老鈴鹿山系の山々に人的交流が遮断されていたからの現象だろう。


川や幕府が橋を架けさせなかったことや山々が人の交流を妨げ、文化の広まるのを阻害したとみるのか、そうではなく地方独自の文化を育てたとみるのか、わかりません。富士川がそんなことを思い起こさせてくれた。