見た目ファースト


台風24号伊勢湾台風と同じようなコースをたどって駆け抜ける予報だっただけに、ちょっと身構えた。被害といえば、駐車場のフェンスに取り付けた防犯の啓発横断幕が風に引きちぎられただけで、幸いだった。一夜明けて、きのうの朝、三好丘駅まで行く沿道でも名古屋駅前高層ビル街を散歩がてら歩いても、前夜のあの荒れ狂った風雨の跡形はどこにもなく、ごく普通の日常だった。テレビの騒ぎ過ぎか、それともそれの見過ぎか?


きょう10月2日の誕生日の花はノコンギクラジオ深夜便。8月から11月頃まで、ごく普通に道端や畑の中、山道や渓流沿いでも見られる野菊の一種。いつものウォーキングコースではいたるところで目につく夏から秋のありふれた草花だ。



古希を迎えた年の同窓会(高校の同学年会)の挨拶で、いつまでも若さを保つには「好奇心」と特に女性は「羞恥心」を持ちましょう。と話をした記憶がある。還暦を過ぎて古希を迎える頃になると同級生と云っても、若く見える者と老けて見える者の差が激しいことに気づかされる。だから、そんな挨拶もしてみたくもなったのだ。


ところが、アベノミクスが浸透して貧富の格差が益々拡大したように、わが年齢層の見た目の格差も後期高齢者から喜寿を迎えた年齢になると、同様に大きく開いてきた感じだ。今年の5月にあった同窓会でそんな思いを抱いた。自分より6歳上の麻雀仲間Eさん。この3年毎年海外旅行に一緒している。同行者からはいつも彼の方が若く見られている。




彼の人生哲学は「見た目が変われば生きる姿勢も変わる」だ。「いかに自分に手をかけるか」が、見た目も生きる姿勢も若くし、「どうせこの歳だから」と何にもしないことが、見た目も生きる姿勢も老けさせる。リタイヤー後の10数年彼と遊びやボランティアを共にしてそんなことを感じた。



日曜日の中日新聞の読書欄に脚本家内館牧子さんの小説「すぐ死ぬんだから」の紹介と著者へのインタビューがあった。隠居生活を送る78歳の女性が、実年齢より上に見られたのをきっかけに外見磨きに目覚めるストーリーのようだ。高齢者の「どうせすぐ死ぬんだから」というセリフが何もしないことの免罪符になっていることが気にかかり、年をとったら「見た目ファースト」っていう話を描きたかった。と著者は語っていた。


ここまでカキコして、江戸時代の俳人滝瓢水(たきひょうすい)の句に通じるものがあると感じた。「浜までは海女も蓑着る時雨かな」海女は海に潜るのが仕事だから、水に濡れることになる。しかしそんな海女でも、雨降りであれば、浜までは蓑を着て体をいたわるものだという。どうせ濡れるのだからと、時雨で体を冷やすようなことはしない。自分の体をないがしろにせず、大切に扱うのだ。


「見た目ファースト」で外見は内面に作用し、見た目が変われば自分を大切にし生きる姿勢も変わるものだということだろう。