トヨタ・ソフトバンク提携に思う


3日続いた秋晴れも途切れ、朝からどんよりと曇り空。午後には降り出した。10月10日、本来は54年前の東京五輪を記念しての体育の日だ。この年に社会人となり、東京を離れた。社会人1年生には五輪どころではなかった。会社の社員食堂のテレビでチラっと開会式の模様を見た記憶が蘇る。                                     


小学校から大学まで同じ学校で大学1年留年の竹馬の友が「俺はこの目で五輪を見たいから留年したんや」とうそぶいていた。彼は、多治見で家業の3代目社長を今だに元気に続けている。彼のことなら2度目の東京五輪を見に行くのだろう。



横綱輪島が亡くなった。金沢在任中の昭和45年に彼は日大から花篭部屋に入門し、とんとん拍子の出世で横綱になってしまった。金沢や出身地七尾では大いに沸いていた。七尾市和倉温泉の近くの石崎町、ここは輪島の出身地であり奉燈祭りが有名だ。この祭りを見物に行った際、地元の人に輪島の実家の床屋さんへ案内され、2階に上がって輪島の優勝カップやら記念の盾などがズラリと並んでいるのを見せてもらった。そんなことが思い出される。



先だって7日の日曜日のラジオ深夜便による誕生日の花はコスモスだった。この花、秋の代表花だが早いものは夏の間から咲き始めている。 早咲き遅咲きがあるようだ。菊科コスモス属。外来品種だが、日本の風景に合っている。 「秋桜」の字は、主に秋に咲き、花弁の形が 桜に似ているところからの和名だそうだ。


ウォーキングコースから少し離れた東名高速と国道23号バイパスに挟まれた豊田・千束町の広い休耕田のコスモス畑、名古屋ドームより広いと思われる、今年は成長が遅いようだ。例年のような勢いが見られない。異常気象のせいか、それとも手入れが行き届いていないせいなのか、判断がつきかねる。いずれにせよ、画像をアップするのには、見苦しいほどの成長ぶりだ。


先週のニュースでトヨタソフトバンクグループが新会社を設立する報があった。トヨタの社長は「100年に1度の大変革」と言ったという。確かにその通りだろう。「いつかはクラウン」などと記憶に残るCMで消費者の心理をくすぐり、グループ全体で年間1000万台のクルマを生産・販売する会社の大変革だろう。


今や自動運転車やライドシェアが核となる新たな移動サービスを模索し、実用化する時代になったのだ。病院への送迎の際に車内で診察前の検診をすることや、過疎地への食料品や雑貨の宅配などを想定しているらしい。こうしたことが軌道に乗るにしたがって、車を持つ必要性は薄れ、都市・地方を問わず人々の移動サービス志向が強まって行くのではないだろうか。


巨大な産業の転換点だ。豊田自動織機富士フィルムなどが産業構造の転換を切り抜けてきたようにトヨタグループがこの転換点をいかに切り抜けるかなどと評論家みたいなことは言っておれない。企業城下町の住人の暮らしにも計り知れない影響があるからだ。