「日中と菊の節句」を読んで


神社の祭礼にふさわしい秋晴れの先週の週明けから一転、今週の明けは朝から雨。おかげで、ウォーキングも全行程にわたって傘。こんなことは初めてだ。予報通り午後には雨も上がり、夕方には晴れ間も見えてきたが、何と不気味な日没か。


けさの中日新聞、「くらし」欄のくらし歳時記に「忘れ花」と題して桜の狂い咲きの写真が載っていた。記事には、忘れ花とは、桜、桃やツツジなどが、春が来たと思い込み、花を咲かせることをいう。と出ていた。そうか、2013年の日記にアップした画像のように「狂い咲き」とは気の毒だ。やはり、「忘れ花」の方が趣があり適切だ。



わが家の下の四つ池の周囲の桜並木で今頃の季節にしばしば見かける桜の狂い咲き。これからは、「桜の忘れ花」と呼び方を変えよう。この忘れ花は、台風が来て葉が落ちて丸坊主になってしまったときに起こる。桜は、落葉した状態で休眠して、冬の寒さに耐えるようになっている。この休眠を誘発する物質は、葉の中で作られ、そして体内へ移動する。ところが、秋早く葉が落ちてしまうと、休眠に入らないままに、秋の温暖な季候をを迎えることになり、春と勘違いして花を咲かせるわけ。だそうだ。




もう一つ中日新聞の記事から。土曜日の「風来語」欄で同新聞主筆小出宣昭氏が「日中と菊の節句」と題した一文を寄稿していた。今月は日中平和友好条約が発効して40周年の記念月であり安倍首相が訪中する。10月17日は旧暦9月9日で菊の節句である。中国生まれの菊の花がわが天皇家のご紋章であることからも感慨深いものがある。


敗戦国日本に対し、中国政府代表だった蒋介石は「決して日本人民を敵とせず、報復を加えてはならぬ。中華民族の伝統、怨みに報いるに徳をもってせよに誇りを持て」と国民と兵士に訴えた。時は移り、日中国交正常化交渉が始まった時に当時の周恩来首相は「あの戦争責任は一部の軍国主義者にあり、日本人民はその犠牲者である。中国人民と同じ犠牲者に賠償を強いるべきではない」と結論づけた。



小出氏は千年の時空を超えた「こころ」のつながりで菊の節句を祝いたいと結んでいた。4日前のクマさんの日記「何をしでかすかわからない」と題し「やがては世界一の経済大国になろうという隣国のやることなすことが不気味に映る。何をしでかすかわからない」とカキコしたが、小出氏の一文を読んでますます不気味な国に映った。


改革開放経済を取りいれたことにより、14憶国民総カネの亡者になってしまったんじゃないかな?