正倉院展


先週は好天続きだったが、きのうの日曜、週明けのきょうの月曜は変わりやすい天気続きだ。おとといの文化の日は文化の薫り高い地奈良を訪れ、天平文化の一端に触れ文化の日を満喫した。奈良国立博物館正倉院展と再建された興福寺・中金堂拝観の日帰りバスツアーに参加した。


正倉院展は休日とあって一般入場口は長蛇の列。200mくらいの列が常時続いていた。幸い、団体は別の入り口から待たずに入れた。館内は押し合いへし合いの状態。こんなときにはイヤホンガイドは中止にすべきだろう。その人たちが熱心に聞き入って動かないのだ。フロアの壁沿いの展示物はほとんど見物できず、中央に置かれたケースの中の展示物を重点的に見物した。



そもそも、今年で70回目を迎えた正倉院展を見てみたいというのは、小学校の修学旅行で大仏やら校倉造りの正倉院に初めて接して以来の念願だった。学術的な造詣が深いわけでもなく、倉庫の中の宝物を見てみたいという単なる好奇心だ。1300年もの昔と現代をつなぐ貴重な文物を目にできたことに満足した。カメラ撮影禁止はちょっぴり不満だ。


古文書で「越前国正税帳」があった。当時の越前国は現在の福井県と石川県加賀市あたりを指すらしい。この国が朝廷に提出した決算書だ。文書の中に「江沼」とか「加賀」の文字がある。昭和41年金沢の会社に出向し最初に配属されたのが現在の加賀市大聖寺の江沼支社だった。正倉院の古文書に「江沼」の文字が見つかるとは感激だ。これぞ、奈良時代と現代をつなぐ貴重な文物だ。



青銅製の匙(さじ)。新羅(7世紀中頃までに朝鮮半島中部以南をほぼ統一した国)製と推定される。10組重ねて紐でくくってある。これは8世紀当時のままの状態とのこと。当時新羅から貢物として献上されたが、使い方がわからず、そのまま1300年も放置されているのではないだろうか?こんな”げす”の勘ぐりをするのもまた、楽しからずやだ。


正倉院奈良時代の740〜750年に建立された東大寺の倉庫。三角形の木材を組み上げた校倉(あぜくら)造の建築。東大寺に献納された品と同寺で使用された文物が納められている。献納品には聖武天皇の遺愛品が数多い。宝物は約9千件。そのうち95%は奈良時代の国産品。他は唐、新羅ペルシャや東アジア諸国から唐経由で入ったものとのことだ。



これが、1300年も前のものかと目を疑うばかりの品々の展示で時の経つのを忘れさせられる。ヤコウガイ琥珀トルコ石を使った豪華な鏡や絹や麻で作られている高貴な女性の室内用の履物だ。中国・トルファンで似たものが発見されており、中国からの献上品と思われる。


ウミガメの一種タイマイを使った仏様へのお供え物を入れる箱。高松塚古墳の壁画に描かれている「飛鳥美人」が身に着けている巻きスカートのような女性の衣裳などが見ものだ。新しい知見を求めてなんて、そんな大仰なことは言わない。好奇心を満足させるために来年もぜひ行きたい。