アグレッシブに生きる


きのうの雨も上がった。朝からすっきりと晴れ上がり、カラッとした陽気になった。この季節らしいやや強めの北西の風だ。ラジオ深夜便の伝えるきょう11月10日の誕生日の花はガマ。ウォーキングの道すがら、池や湿地で群生している顔なじみだ。夏から秋にかけて、ソーセージを思わせる茶色の花穂が目立つ。秋も今頃になると、花穂の中から綿毛が出てきて飛散する。



きのうは、市の文化センター、サンアートで市内のいきいきクラブ(老人会)の芸能大会。千人収容のホールも7割方埋まった。わが地域のいきいきクラブも男女19人で「朝はどこから」と「手のひらに太陽」の合唱で出演した。


地元在住で名古屋二期会に所属するソプラノ歌手に指導を受けての特訓がおよそ延べ6時間ほど。歌い終わって全員がロビーで記念写真を撮っている時、先生も駆けつけて来て、手振り口ぶりをまじえ「よくできたわよ。一番いい出来。特に・・・」と激賞。平均年齢80歳に手の届くような一同が童心に返ったような喜びよう。達成感と幸せ感いっぱいのひとときだった。


最近、定年後や老後の暮らし方について週刊誌が取り上げたり、いわゆる「定年本」と称する本がたくさん出ている。「定年後には趣味を持つべきだ」とか「地域のつながりを大事にすべき」といった類の内容だ。かと思えば、きょうの朝刊の月刊総合雑誌の広告欄では「人生百年時代の極上の処方箋」”孤独のすゝめ”などと云った文字も踊っている。



これらの主張は決して間違っているわけではない。むしろそのとおりだ。さりとて、すべての人がそうあらねばならないということではないだろう。「定年後」という未知の領域に入るから不安があり、何かにすがりたくなるものだ。結果として、誰かの成功体験を信じ自分も・・・という気になるのではないだろうか。


ようやく定年になって自由を得たのだから、人の意見に左右されることはできることなら御免蒙りたいものだ。歌い終わった後のあのロビーでのひととき。人生、受け身ではこんな至福な時間を過ごすことは出来ないだろう。ここに集まったメンバーみな誰に指図されることなくアグレッシブ(能動的)に生きている。そんなことを感じた。