77回目開戦記念日


遅い夜明けと雨音に気づいたけさは、きのう病院の先生からも体操もウォーキングも暫く休めとのアドバイスがあっただけに、これ幸いと再び布団にもぐりこむ。エアコンつけたら曇ったガラス窓。てのひらでこすると向かいの緑地帯のドウダンツツジが枯野の中でひときわ燃えているように見えた冬景色。


まるで、ユーミン(この歌が流行っていたころは、松任谷由美だったと思うが・・)の「12月の雨」の世界だ。♪ 雨音に気づいて遅く起きた朝は/ まだベッドの中で半分眠りたい/ ストーブつけたらくもったガラス窓/ 手のひらでこするとぼんやり冬景色                                             


てなわけで、遅めの朝食をやっていると何と、つるべが井戸に滑り落ちるように、秋の日が一気に日があっという間に暮れる。 そんな早さで冬の雨があがり、冬の日差しになった。娘が「もらいもん」とポインセチアを持ってきた。ウチの内も外も冬景色だ。



先週の土曜8日は太平洋戦争の開戦記念日だった。日米開戦から77年になる。 終戦記念日と並んで毎年この時期になると太平洋戦争に関する映画やテレビの特集番組が組まれてきた。一時と比べたらその数も減ったような気がする。日本が米国と戦争をしたってほんと?と質問されたり、英霊がイギリス人の幽霊と思われたり、真珠湾三重県と勘違いされたり、B29が柔らかい鉛筆に間違われたりと、笑えない笑い話が聞こえてくるご時世である。二つの原爆忌終戦記念日と同じように、折に触れて記憶を新たにしていい日だろう。



日曜の中日新聞の社説は平成の30年間は昭和と違って「日本が当事者となる戦争が一度もなかった」ことを振り返り次の時代も戦争回避に知恵を絞り、叡智を集めることが今を生きる私たちの役割だと主張していた。その中で、過去500年間世界の覇権争いの研究事例を引き合いに分析・言及していた。


日本は明治維新後、新興国として勢力圏を拡大しようとして衝突を起こした。既存の覇権国家である清国・ロシア・米国との争いは日清・日露戦争には勝ったが太平洋戦争では敗れた。しかし、戦後復興し一時は米国に次ぐ世界第二位の経済大国に上りつめた。この日本が、戦後70年以上も再び戦火を交えることなく、ここまで来たのには大きく言って二つの理由がある。


ひとつは、覇権国である米国主導の国際秩序に身を委ねたこと。もうひとつは、戦争放棄と戦力不保持の憲法を持ったことだ。ところが、いまや世界第二位の経済大国となった中国の台頭で米国との「貿易戦争」だ。米中間の緊張に対して米国と同盟関係にある日本は、日本が発端にならなくても集団的自衛権の行使を迫られることになる。ここに戦争回避に知恵を絞るワケがあるのだ。中日の社説に考えさせられた。