鯨の行方


車のフロントガラスが真っ白に凍りついている。この冬はじめてのことだ。こんな朝だから日中は、日差しに温もりが感じられる雲一つない冬の青空が広がった。


ラジオ深夜便の伝えるきょう12月25日の誕生日の花はクリスマスローズだ。わが家のクリスマスローズは3月の初めに咲くのにどうして? パーソナリティーの伝えるところによると、クリスマスの時期に咲く品種もあるらしい。また、バラの仲間だと思っていたが、バラに似ているだけでキンポウゲ科だそうだ。


いつもうつむきかげんに咲いている清楚な感じの花だ。これだけの実力があれば、十分メシが喰って行けるところに、クリスマスローズなんて大仰な名前をもらったもんだ。いや、名実ともに兼ね備えた評価の高い花だ。



大学生のとき家庭教師をしていた子の父親が捕鯨船の乗組員で、鯨の歯を土産にもらったことがある。1本の歯といっても長さは30cmくらい。まるで水牛の角のようなものだ。飾り物として大事に持っていたが、度重なる引っ越しで散逸してしまった。小学生の頃、ビタミン不足で「脚気」になるからと、鯨から採ったといわれる肝油を飲んでいた記憶がある。


学校の給食で鯨の肉が出されていた。固い肉だという記憶がある。次兄がテニスをしていて、そのラケットのガットが鯨の脳の繊維から作られている。雨に弱いから雨降りには使えないと聞いた記憶がある。ことほどさよう、昭和の時代に鯨はわれわれの生活には切っても切れない縁があった。そして、鯨は解体しても捨てる部位はないといわれるほど貴重な資源だったようだ。



先週、政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を決めたことがニュースになっていた。反捕鯨国と議論を重ねても立場の違いは埋まらず、商業捕鯨の再開は見通せない。それなら、いっそ組織を飛び出して・・・とのことだ。自分の不勉強かもしれないが、商業捕鯨は過去のもので、なくなっても国民生活に大きな影響はないのではと思っていた。


わが思いとは逆にメディアの反響が意外に大きかった。戦前、満州国が国際社会から認められず、国際連盟を脱退し泥沼に踏み込んだことへの危惧や、気に入らない枠組みからの離脱を繰り返しているトランプ流を見習った米国追随を危惧するコトの本質からはずれた主張が多かった。



一方では、反捕鯨国や団体も、鯨を食べるのはだめだが豚は問題ないと、万人を納得させる理屈など持ってないだろう。頭を冷やし邪魔をしないでもらいたいとコトの本質に触れた主張もあった。


個人で製造すると密造酒になるどぶろく酒が伝統文化を守るためにつくるのは許されている。メディアもIWCの脱退方法を云々するよりも、伝統文化を守ることに主眼を置いたどぶろくのような「鯨の別の道」を模索することを言及してもいいのではないかと思った。