学者の講演

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われらのグラウンドゴルフの正月休みも明けて、ゴルフ、Jリーグ、プロ野球に先駆けて球春到来だ。そういえば、この「球春」が野球狂だった正岡子規の造語だとか、なんとか言われているが、今では春の季語にもなり、パソコンで入力してもちゃんと「球春」と変換される格式ある言葉になったものだ。

 

話がそれたが、グラウンドゴルフに打ち興じていると汗ばむほどの陽気になった。それを待ち構えていたように、わが家の庭ではクロッカスが咲き始めた。松葉のような細い葉とともに花径を伸ばし、チューリップを小さくしたような花を咲かせている。陽があたると開き、夕方には閉じる。

 

ラジオ深夜便によると、きのう2月6日の誕生日の花はヒメオドリコソウだった。この時期には、まだちょっと早いが3月に入ると、ウォーキングの道すがらの空き地や雑草地で必ず見かける草だ。葉が五重塔のような段々状。群生していると名前の通り大勢の人が踊っているように見える。しそ科オドリコソウ属。

 

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先日の多治見での新年会で話題になった一件。
 高校の同級生が天皇家御用達の大学で経済学部の教授をしていた。出身地多治見の信用金庫が招いて経済講演会を開いた。聴きに行った同級生がなんとも面白くない話だと酷評した。その教授次のようなメールで返事してきた。

 

前略)講演とかセミナーとか何百回やってきましたが、皆が満足する内容などありえず、また、話を受身で聞いて、自分が儲かるなどといったことは、市場経済ではまったくありえないこと、そこで、「面白い、しかし、信頼できない」金儲けのための評論家の類の話は絶対したくない(中略)、ネガティブ・コメントをする参加者がおられれば、面白おかしい違ったタイプの講演会を選んでもらう以外ありません。

 

学者先生をワイドショーに出てくる評論家や予想屋と同一視するわれわれが間違っているか、講演を引き受けた以上聴衆に見合った話をする柔軟性を持ち合わせない学者先生の資質の問題なのか?講座の内容よりこの問題について考えさせられた。