「建国記念の日」の「の」チカラ

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春が立ってからの「史上最強」と称される寒波は心身にこたえる。北海道を大いに冷やした寒波は南下し、関東地方にまで雪をもたらし、この地方は冷たい風のおこぼれだ。「余寒」にしては、厳しすぎる冷えようではないか。

 

立春を迎えて「寒明け」となっても、「三寒四温」を繰り返しながら正真正銘の春になって行く。三寒に当たる日の寒さが「余寒」だろう。そんなことからだと思う。暦の上での春になっても、おととい2月9日の誕生日の花に「寒ボケ」が選ばれていた。

 

まさか寒ボケが9日の誕生日の花に選ばれるとは知らず、8日の日記にその花をアップしてしまった。きょう改めて撮って来た。実が干し柿のように哀れな姿をさらしていた。ボケの花は12月頃から咲き出す寒ボケと春に咲き出すボケの種類があるそうだ。

 

秋にテニスボール大の実がなる。瓜のような形であることから「木瓜もっけ)」と呼んでいたことが転じてボケとなった。枝にトゲのある種類とないものがある。花の色は赤、ピンク、白がある。バラ科ボケ属。

 

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北海道で猛威を振った最強寒波が関東地方にまで雪をもたらした。ニュースになるほどだから、積もるほど降るのは珍しい。振り返ってみると、中世から権力の中心となることの多かった関東地方で、雪を背景に国をひっくり返すようなテロが起きている。

 

遠くは鎌倉時代、三代将軍源実朝鶴岡八幡宮で襲われた。江戸時代元禄年間、赤穂浪士が吉良邸を襲った忠臣蔵。幕末、水戸藩浪士が井伊大老を襲った桜田門外の変。昭和の初め、陸軍の青年将校が高橋蔵相や斉藤内相を殺害した二・二六事件。いずれも雪を背景にしたテロだ。積雪が珍しい場所でまさかの時にまさかのことが起きたから印象深いということだろうか?

 

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きょう2月11日は「建国記念日」ではなく「建国記念の日」だ。今月6日のカキコ。「春の雨」と「春雨(はるさめ)」、「の」が一字入ると入らないのでは大きく意味合いが変わってくる。 前者は春まだ浅い、今頃の雨。後者は春爛漫の頃の雨でないか。そんなことを云いたかった。

 

建国記念の日」でいうとこうなる。、「の」の字1字が守旧派と革新派を妥協させた「建国記念の日」。ワケあり祝日だ。神話の神武天皇即位の日を戦前は「紀元節」としていた。これを「建国記念日」として復活させたい守旧派軍国主義につながる亡霊をブチ壊したい革新派を妥協させてのは、「建国を記念するための祝日」としてのたった1字の「の」なのだ。「の」の字はたった1字でとてつもない力を発揮するのだ。

 

何はともあれ、自分の国の生い立ちを子どもたちに教えない国がどこにあるだろう。神話であれ史実であれ、建国の物語はどの国にあっても然るべきだ。それは国民を結びつける太い軸となるはずのものであろう。

 

その物語を自ら否定することは、自分の国を否定することに等しい。それこそ戦後の自虐史観にほかならない。このような歴史観はいい加減に断ち切るべきだ。この記念日の趣旨が「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことであるらしい。それならば、国主催の記念式典をこの日に行うことから始めるべきだ。