シベリア鉄道あれこれ

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雨の春分の日。去年のきょうも雨だった。去年と比べて静かに降るやわらかなやさしい雨の日だ。きっと、桜の開花を運んでくる雨だ。

 

正岡子規の歌に「くれなゐの二尺伸びたるバラの芽の針やはらかに春雨のふる」がある。紅色をした二尺ほど伸びたバラの新芽の針(トゲ)は,まだいかにも柔らかな感じであり,そこにしっとりと静かに春雨が降っている。歌の中の「やはらか」は柔らかなトゲと柔らかに降る春雨の両方にかかっている。やはり、春雨はやわらかだ。

 

 
けさのラジオでパーソナリティーが案外知られていないが、実はこういうことだよと云っていた。「春分」というのは季節の分かれ目ではなく、昼と夜の長さが等しい昼夜等分の意味であること。そして、そうかといって春分の日には厳密にいうと等分になっていない。と。

 
春分の日の名古屋の日の出は5時55分、日の入りは18時4分で等分になってない。春分の4日前3月17日に日の出6時1分、日没18時1分と等分になるそうだ。その理由は、太陽が地平線に頭を出した時が日の出の時刻で、地平線から太陽が消えた時刻が日の入りになる。つまり、太陽の直径の分だけズレが生じるということらしい。

 

へぇ〜そういうことか。こんなこと、知ってる人にしてみれば何でもないことだろうが、我々普通の人にしてみれば何か凄いことを知ったという新鮮な喜びがある。

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大河ドラマ「韋駄天」、こんどの日曜の放送でいよいよ金栗のマラソンの出番となる。このドラマを見て気づいたのはクマさんだけではなかったと思う。金栗、三島の選手とスタッフは船便で日本からストックホルムに行ったと思っていた。3週前の放映ではシベリア鉄道を使っていた。

 

時は明治、しかも厳寒の大陸だ。まさか、鉄道が開通しているとは思ってもみなかった。調べてみた。ストックホルム五輪は1912年明治45年。シベリア鉄道日露戦争の最中の1904年に開通しているのだ。極東ウラジオストクからモスクワまで9300km。

 

金栗らは敦賀から船でウラジオストクへ渡り、シベリア鉄道でモスクワ経由ストックホルムまで17日間の旅だった。船便だと35~40日かかるので時間短縮のための鉄道利用だったようだ。現在のシベリア鉄道でもウラジオストク、モスクワ間は7日かかる。

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一昨年JR高島屋で開かれた「鉄たび展」で上の写真にあるポスターを見て、こんなことホントかいなと思って調べてみたものだ。小説や森光子の舞台で有名になった「放浪記」の作者、林芙美子の「三等旅行記」「下駄で歩いた巴里」という作品が昭和5年に東京からパリまで列車で移動した紀行文だそうだ。

 

彼女は下関から韓国釜山に渡り、ソウルからシベリア鉄道経由モスクワ、ベルリン、パリへの旅をしている。こうしてみると、戦前の樺太と朝鮮が日本の統治下だったころは、ロシアとは陸で繋がっており、朝鮮からシベリア鉄道経由で欧州行国際列車が走っていたことがわかる。

 

ソ連時代までは長旅にかかわらずシャワーはない、トイレは垂れ流しで停車中および市街地走行中は使用禁止。その上、1日中走っても同じ景色。相当難行苦行だっただろう。今でこそ、快適性は向上しているだろうが、「シベリア鉄道で欧州行くか?」誘われても、いくらヒマ人でも二の足を踏むだろうなぁ。