中日スタジアムと臨港線

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冬型の気圧配置が居座り続けている。せっかく咲き始めた桜の満開へのスピードもスロウダウンだ。開花、満開、桜前線などとことさら気にするのは、限られた間しか楽しめないからだと思う。桜に特別さを覚えるのは、四季のある日本特有の感覚と言えるだろう。

 

日本人ならではの感覚といえば、天皇陛下の退位が決まってから続いてきた平成ブーム、あるいは新元号と新時代をめぐる騒ぎも、それを煽り立てるメディアの動きとあいまって、外国人には理解し難い現象だろう。

 

何にでも「平成最後」をくっつけ、新元号の予測が盛り上がり、軽口が飛びかう。そしていま、「令和」が公表されるや、数時間の間に日本中の「令和さん」をテレビに登場させてしまう。街中もネット空間もお祭り騒ぎだ。天皇の逝去を伴わぬ改元であるにせよ、これほどのラフな感覚を昭和時代に想像できただろうか。

 

しかし、考えてみればこういう空気は得がたいものだろう。日本が戦争をすることなく過ぎた平成の30年。それを受け継いで始まる令和の時代。そんな平穏のなかでの改元だからこそ、人々は不思議な端境期を楽しんでいられる。平和ボケが令和ボケにならないよう気を引き締めよう。

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先週末にプロ野球が開幕した。Jリーグではグランパスが首位の座を確保している。高校野球では東邦高校センバツで決勝進出。プロ野球だけはドラゴンズは始まったばかりとはいえ、どうもぱっとしない。横浜での開幕カード1勝2敗。初戦などまるきり昨年一昨年の悪夢の試合ぶりの再現だ。試合終盤に中継ぎ陣が崩れて負けるパターン。まるきり進歩がない。

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先週金曜の中日新聞の投書欄。87歳の男性が「ナゴヤ球場 響いた汽笛」と題して昭和30年代の初めのころの中日スタジアムの風景を懐かしんでいた。当時は名古屋港への貨物線が球場のそばを通っていて試合後半になると汽笛が聞こえた。客車を引いた蒸気機関車が球場近くの仮設停車場に着いたのだ。試合が終わると観客はこの汽車に乗って名古屋に向かった。

 

クマさん、当然戦争には行ってないが、この投書を読んで”戦友”に逢った気がした。小学校高学年から中学生の頃、多治見から中日スタジアムにしばしば通った。臨港線(当時はそう呼んでいた)に乗ると名古屋駅に入るのでホームを渡るだけで中央線に乗れて便利だった。

 

筆者は「客車を引いた・・・」と書いておられるが、客席のない荷物車のことが多かった記憶だ。また仮設停車場があったか記憶がないが、線路上を歩いて直接荷物車に乗り込んだ覚えはある。長じて、映画でユダヤ人がナチスの収容所に列車で送られるシーンを見るたびに臨港線の列車を思い出すのだった。昭和は遠くになりにけり。平成の30年越して来月からは令和だもんなぁ。