’64東京五輪ビフォー・アフター

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この地域での梅雨明け宣言はまだない中、けさは待ち望んでいた夏空だ。気象の専門家に言わせれば、この雲は台風6号の雲というかもしれないが、まぁそんなことはどちらでもよかろう。強い日差しがあるものの、木立に沿った日陰のウォーキングコースはひんやりと涼しい。いかにも、夏の朝の肌触りと大空の景色だ。

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きのう7月25日の誕生日の花はヒマワリとラジオ深夜便。わが家の周囲とかウォーキングコース沿いの休耕田で春の菜の花、夏のヒマワりは定番だ。ところが、先日のハスと同じようにヒマワリも近年さっぱり見かけなくなった。

 

 名前は、花が太陽の動きにつれてまわることから”日まわり”。しかし実際には、花首の柔らかい、つぼみのときだけ昼間、太陽の方向を向いて夜に向きを戻し、成長して花が咲いてからは東を向くというのが本当のようだ。種子は食用になる。種子から採った油は石鹸や塗料の原料になる。茎や葉は家畜の飼料となる。見てよし。利用してよし。いい花だ。とパーソナリティー氏は説明。

 

ラジオ深夜便、エンディングの音楽はきょうの誕生日の花ヒマワりに因んで、ソフィアローレン主演の映画「ひまわり」のテーマ音楽をヘンリーマンシーに楽団の演奏でやっていた。

f:id:mikawakinta63:20190726155125j:plain      東京五輪まであと1年を切って、準備も着々と進んでいるようだ。首都高の規制実験をしたことがニュースで取り上げられていた。前の東京五輪の年に東京での大学生活を終え、名古屋に就職したクマさん。東京五輪の今昔を比較するのに実体験を伴うことが多く、案外記憶が正確だと思う。

 

先述の首都高、東京にいた頃は京橋と芝浦の間だけだった。外堀が埋められ数寄屋橋が取り壊されその上を首都高が通っていた。55年後の今、首都高の総延長は350kmにも及ぶそうだ。帰省、上京は東海道線を利用していた。卒業した年に新幹線が開通した。友人の中には、五輪と新幹線に恋焦がれて留年した輩もいた。

 

北京五輪のとき、中国人がお国からマナー向上を強制させられ、我々日本人は嘲笑の目で見ていたが、そういう我々も前の東京五輪を機に駅に痰壺(たんつぼ)がなくなったり、整列乗車がある程度守られるようになった気がする。

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ただ、日本人の間でも一向に定着しないマナーもある。その一つがエスカレータの乗り方だ。先週からきのうのかけて3回名古屋へ地下鉄で出かけた。全国の鉄道事業者が一斉に呼びかけを始めたとかで、伏見駅での乗換えの際、2列に並んで立ち止まって利用するよう呼びかけているにもかかわらず、歩く人のために片側が空けられたままだ。

 

これだけ車の運転が普及すると、誰しも左側は走行車線、右側は追い越し車線の感覚が染みついてエスカレーターでも同じ感覚になるのかなぁ~。(関西でのエスカレーターは右立ち、左空け)守られないマナーのままでは外国人は困惑してしまう。