山三昧の「山の日」

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8月も10日を過ぎると野原に限らず住宅地にもちらほらと高砂ユリが咲き出した。わが家の庭でも、どこから飛んできたのか咲き始めた。(下右写真)上の写真は丘陵尾根筋の荒れ野に咲き始めたものだ。繁殖力の強い外来種で、3.4年毎に群生地を移動させているそうだ。そういえば、数年前に群生していた場所で今は全く咲いていない。今年は四つ池の桜並木に沿って群生している。中には2m以上の高さのものもある。(下左写真)

 

先週は明るい話題がダブルであった。全英女子オープンゴルフでの「スマイリングシンデレラ」の優勝と小泉進次郎議員とフリーアナウンサー滝川クリステルご両人の結婚報告だ。首相官邸を2人で訪れて、記者団の「ぶら下がり」にも応じた。総理にいきなり挨拶に行けるオレを狙った周到な見せ方だと思った。

 

「スマイリングシンデレラ」渋野日向子選手はメジャー制覇からの凱旋試合北海道明治カップを通算4アンダーの13位で終えた。優勝には届かなかったが大勢のギャラリーが集まり、注目度の高さを改めて示した。ラウンド中もギャラリーとのハイタッチで人気を集めているが、ドラゴンズの松坂投手がキャンプ中にファンとのハイタッチで肩を痛め、今シーズンを棒に振ったも同然にしてしまったことを思うと、人気稼業とはいえ、ほどほどにした方が・・・。老婆心ながら。

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ラジオ深夜便によると、8月10日の誕生日の花はヘチマだった。10年以上前までは三好丘の丘陵の農家でよく見かけたし、わが家でも栽培していた。最近はさっぱり見ない。写真はその時のものではない。農家で栽培されたものだ。その当時の写真はパソコンに落雷したときになくなってしまった。                        

 

秋に完熟した時、地上から50cm位のところで茎を切って、容器に一滴ずつ採取した。それを薬局へ持ってゆくと殺菌・ろ過してくれる。カミさんは化粧水に使っていた。最近は、ヘチマ水を使わないから肌が荒れ放題。と当人いわく。ヘチマ水のせいでなくて、加齢のせいだと思うが・・・。

 

こうしてみると、ヘチマはあまり栽培はされていないが、なかなか有用なウリではないか。食用に、化粧水に、たわしにと広範囲に用途がある。正式な名前は糸瓜(いとうり)。ウリ科の一年草。つる性で他のものに巻き付きながら成長する。ネットで調べると、名前の由来がユニークだ。

 

本来の名前は果実から繊維が得られることから付いた糸瓜(いとうり)で、これが後に「とうり」となまった。「と」は『いろは歌』で「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」の意で「へちま」と呼ばれるようになった。今でも「糸瓜」と書いて「ヘチマ」と読ませる。ヘチマはその用途といい、名前の由来といい、なかなかユニークな存在だ。

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きのう8月第2日曜11日は「山の日」だった。「海の日」制定に熱心な業界団体だけに肩入れすれば「山の日」関連の業界団体は黙っていない。妥協の副産物という政治的決着方法のひとつではないだろうか。きのうの「山の日」は。

 

わが家から眺めるお気に入りの風景のひとつに、冬の朝南西の方角直線距離で40数キロ先に見える鈴鹿山系藤原岳だ。この景色を眺めていつもスイスのアイガー北壁を思い出している。適当に都会で、適当に田園風景があり、適当に山岳風景まで楽しめる三好丘は素敵なところだ。

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友人知人には、けっこう山男がいる。地元の居酒屋花金の常連さんで先般旅立たれたYさんは百名山踏破した本格派だった。数年前山での災難で九死に一生を得て、山はもう懲りただろうとの周囲の安堵をよそに、この夏も北アルプス縦走をして帰ってきた、麻雀仲間のジャンプロさん。

 

名古屋での麻雀仲間にも山男がいる。自称京大山岳部崩れのふたりだ。こうしてみると、山登りと麻雀は相通じるところがあるようだ。「上がりに行くか、下りるか」山の天気に対して「まだ、いいは、もうおそい」「成否は運(天候)7割技術3割」など両者に通じる。

f:id:mikawakinta63:20190812150252j:plain           それでも、子供のころから「山」に関する思い出は色々とある。標高3千mを超す山に行ったのは小学校5年生。乗鞍畳平までは登山バス。そこから歩いて山頂剣ヶ峰まで2時間以上かかった記憶だ。中学3年。東京・日光修学旅行で羽田空港見学に。ネパールのマナスル峰を世界初登頂した槇有恒隊長率いる登山隊が凱旋帰国するのに遭遇し、8千m級のマナスル峰の存在を初めて知った。卒業文集のタイトルが「マナスル」だった。

 

 後にも先にも1度だけの北アルプス。高校2年だった。上高地から入って西穂高山荘で泊まった。写真があるから間違いない。そこから穂高連峰のどこへ行ったのか記憶がない。自分を含め一行5人。3人は他界。ひとりは消息不明。自分だけ長生きすると尋ねる人もいなくなる。記録を残すことは大切だ。

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 大学生、社会人になってからは行動範囲が広くなったが自らの足で征服するような情熱もなくなった。眺めるだけで満足するようになった。もう一度行ってみたい、眺めたい場所は、カナディアンロッキー、スイス・アルプス、ハワイ島マウナケア。猛暑日では、野良仕事もできない、きのうの「山の日」。日がな、山に思いを巡らせる、クマさんにとっては好天気だった。