1964年の東京

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最低気温ひとけた、日中ポカポカ秋晴れが2日も続いている。この時季になると黄褐色の桜の葉、銀杏並木の黄葉が随分と進んできた。わが家のスモークツリーの葉も赤くなり、隣家のオキナワスズメウリの1.5cm大の青い実が真っ赤になってきた。季節の変わり目がはっきり目に移る季節になってきた。

 きのう11月5日の誕生日の花はマリーゴールドラジオ深夜便が伝えていた。春から秋まで絶え間なく咲き続ける。「マリーゴールド」とは、「聖母マリアの黄金の花」という意味とのことだ。水がない状態でもなかなかしおれない、強い花だ。                               

 独特の臭気により病害虫を抑えたり生長を助けるといった、良い影響が出るので「コンパニオンプランツ(共生植物)として野菜づくりには最適で、我らの家庭菜園でも多く見られる。

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「東京、有楽町、新橋、浜松町、田町、品川、大崎、五反田、目黒、恵比寿, 渋谷、原宿、代々木、新宿」東京・山手線外回りの東京から新宿までの駅順だ。東京を離れて55年経った今でも空んじている。学生生活のたった4年間だったが、あの頃は若くて脳みその働きが活発だったこともあるうえ、毎日の生活が充実していたからかもしれない。今、月に2度ほど電車で名古屋に行くが、三好丘から伏見までの駅順は憶えていない。

 おとといの夜、NHKテレビで「ミラクルトラベル 熱狂の1964東京へ」と題したバラエティー番組を田中裕二中村勘九郎の司会でやっていた。東京で最初のオリンピックが開かれ、日本中が熱狂に包まれていた1964年の銀座の街並みを写真から再現!最新技術を用いて出演者たちがタイムトラベルし、時代の熱気を直に体感する。そんな趣向のバラエティ番組だ。

 昭和30年代の東京・下町を舞台にした人情ドラマで、当時を再現した風景や物語が魅力の、観る人をほっこりさせた「三丁目の夕日」と似た時代背景だが、このバラエティー番組は1964年の東京五輪を中心に据えて、とかく視聴率が低迷していると叩かれている大河ドラマ「いだてん」の補強番組臭さもにじませている気がした。

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そんなことは、クマさんにとってはどうでもよかった。CGで再現された銀座4丁目交差点を中心に有楽町方面にカメラが振られると、日劇朝日新聞、有楽町駅ガードの向こうにはそごう、手前には阪急があった。逆に勝鬨橋(かちどきばし)方面に振られると、歌舞伎座があった。

 銀座4丁目交差点を取り囲むように、ソニービル、ライオンビヤホール早慶戦で勝ったとき、ライオンへ行けばビールがタダで飲めた。面識がなくても先輩がおごってくれた。それが伝統だったのだ。とめどなく出て来る若き日の思い出コマツストアーのある通り、みゆき通りだったかスズラン通りだったか、ヴァンのジャケットを着込んだアイビールックの若者が闊歩していた。銀座のど真ん中6丁目あたりに東京温泉なんていう銭湯もあった。

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 話を番組に戻す。この番組は「三丁目の夕日」とは異なった切り口で、日本を勇気づけるように、あの時代を駆け抜けた伝説のスーパースターたちの生きざまにも迫っていた。戦後最大のスーパースター、長嶋茂雄モータースポーツ界のレジェンド、本田宗一郎。性別を超え、美を極めたカリスマ、美輪明宏。そして誰からも愛された天才役者、中村勘三郎。彼らの破天荒な人生哲学に迫っていた。

 有名人たちの数々のエピソードは活字や画像になって後世に語り継がれていくだろう。学生生活から社会人になったという人生の大きな節目の1964年。テレビを見ながら止めどもなく溢れ出てくる青春時代の数々のページ。名もなくつましく生きるクマさんにとっては、自らの手で記憶を記録にとどめて泉下の人となろうときょうの日記になった。まだ書き足りないが・・・。