一陽来復
今年も余すところ10日あまり。あさっての22日は冬至だ。、夏至と反対に、夜が最も長く、昼が短い日。夏至から徐々に日照時間が減って行き、太陽の力が一番衰える日だ。中国では「一陽来復(いちようらいふく)」と云って、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるというわけで、新しい年が来るという意味で先祖を祀る習俗があったという。
そうしたことが転じて、悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味も込められている。良くないことが続いている人も、冬至が来たら「さあ、これからは良いことがどんどんやって来る」と気持ちを切り替えよう。そういうきっかけを与えてくれる日でもあると云われている。
この「一陽来復」クマさんファミリーのためにある日でもあるようだ。10月にカミさんが甲状腺を患い手術。11月にクマさんの心臓病が薬の投与で10数年だましてきたが、とうとうアウト。来年1月に手術となった。冬至を境に「一陽来復」となることを願いたい。
ラジオ深夜便によると、きのう12月19日の誕生日の花はシクラメンだった。この時季ポインセチアとならんでクリスマスには欠かせない花だ。そして、布施明歌うところの小椋佳作詩作曲「シクラメンのかほり」も欠かせない。以下のカキコ3度目の登場だが、反響を呼んで印象深いので今年もまた登場と相成った。
♪ 真綿色した シクラメンほど / 清しいものはない / 出逢いの時の 君のようです / ためらいがちに かけた言葉に / 驚いたように ふりむく君に / 季節が頬をそめて 過ぎて行きました
この歌がヒットした40数年前だと思うが、酒席でシクラメンって香りのある花か?と話題になったことがある。リタイヤーしてからでも、ブログで香りがあったとしても「かほり」でなく「かをり」と表すのが本当でないか。東大法学部出身の小椋佳なんて奴はええ加減なもんだ。などとカキコしていた者もいた。
数年前だったと思う。ある作家の「《シクラメンのかほり》の謎とき」と題するエッセーを読んだ。胸のつかえが治まった感じだった。その受け売り。その作家が偶然ネットで小椋佳の奥さんの名前を知った。佳穂里(かほり)さんだった。
なるほど、3番まで歌詞を読んでもシクラメンが香るとはどこにも云っていない。「シクラメンほど清しいものはない」「シクラメンほどまぶしものはない」と云っている。しかも、そのあとに「出逢いのときの君のよう」「恋するときの君のよう」とシクラメンが「君」に見立てられている。
小椋佳にとって妻の佳穂里さんは「シクラメンの君」であったのだ。ならば題名は「シクラメンの佳穂里(かほり)」とすればよかったのだ。香らないシクラメンの謎がこれで解けた。外交交渉も流行歌の歌詞も裏にあるものを読み解いてこそ真の意味が見えてくるのだ。