稀勢の里と権藤博


おおむね晴れ。まずは穏やかな冬の日が続く。きょう1月17日の誕生日の花はフキノトウラジオ深夜便は伝える。この地では2月中旬過ぎでないと丘陵地の畑の土手などでお目にかかることができない。「花」というより「山菜」の感覚だ。農家の人から聞いたことがある。「フキ」は菊科の多年草でその葉柄を「フキ」といい、その「花径」を「フキノトウ」というそうだ。フキノトウは芽出し直後の花が開く前のものを、根ぎわから採取して天ぷらや煮物にする。



稀勢の里が引退表明した1日前に今年の野球殿堂入りが発表され、わがドラゴンズから権藤、立浪の両氏が殿堂入りを果たした。ドラゴンズ関係者では星野氏以来のことだ。権藤投手が入団したのはクマさんの大学2年生の年で、東京ではドラゴンズの試合がテレビで放映されるのは、巨人戦だけだった。投手であっても出塁すると、猛烈なスライディングをするプレイに大いに惹かれた。


新人投手で35勝を挙げ、翌年も30勝だった。「権藤、権藤、雨、権藤」は流行語にもなった。肩の酷使が響いて、実働わずか5年の選手生活だった。「パッと咲いて、パッと散る。細く、長くなんてオレの柄じゃない」との言葉を残している。彼は、コーチに転じてからは自分の経験を踏まえて、投手の肩を守る分業制を編み出した。そして横浜ベイスターズを率いて、リーグ優勝と日本一を果たした。



初場所初日から3連敗して稀勢の里は、ついにきのう16日に引退表明した。稀勢の里が、パッと咲かせた花の美しさを、ファンは一生忘れないと思う。左肩に重いケガを抱えながら、優勝決定戦を逆転で制した2年前の春場所のことだ。それにひきかえ、初日に黒星を喫した頃からの、特にスポーツ紙の引退を促すような報道ぶりはいかがなものか。



強行出場によるケガの回復の遅れが稀勢の里の力士生命をむしばんでいったことは事実だ。パッと散れなかったことが悔やまれる。休場を繰り返し、連敗のワースト記録を作りながら、横綱の地位にとどまった。横綱になってからの勝敗数が負け越しにならなかったのが救いだ。


パッと咲き、パッと散って去り、再び花を咲かせた権藤博、パッと散れなかったが、愛され惜しまれて去った稀勢の里。年寄り襲名も果たしている。後進を育てて大輪の花を咲かせてほしいものだ。