不適切統計調査に思う


朝のウォーキング中に、にわか雨に遭うほどの天気もお昼前からは青空に寒風だ。「弁当忘れても傘忘れるな」の北陸の天気を思い出すようなきょうの天気だ。


どこかの講演会で、評論家からこんなエピソードを聞いた記憶がある。「終戦直後、吉田茂は餓死者が大勢出ると連合国総司令部のマッカーサーに訴え、米国から大量の食糧を送らせた。だが、そんな状況にならない。日本の統計はでたらめだと詰め寄られるや、日本の統計が正確だったら、米国と戦争などしていない」と切り返したそうだ。



ことほどさように、70年以上経ってもまたぞろ統計に関する不手際が世間を騒がせている。働き方改革をめぐる労働時間や、技能実習先から失踪した外国人の調査に続き、今度は雇用や賃金の変動などを把握するための毎月勤労統計だ。定められた方法で調査せず、その場しのぎのやり方で調査していたような形跡があるようだ。データの誤りが原因で失業手当など少なく受け取った人への追加給付には、何百億円も必要なようだ。




そこで、クマさんは思った。今回の厚労省の不適切統計調査に限らず、森友問題をはじめとする官僚の不祥事の根底にあるのは「官僚は間違いをしない。失敗はしない。」この原則に悪乗りしているのではないだろうか。昔はお上のやることだからと庶民は目をつむってきた。自由な民主主義国家になった今では、庶民も「官僚は失敗する」という目を持つようになって、各所でボロが出ているということだろう。


もう一点は、統計に関していえば「間違いしない。失敗しない」の原則に安住して、社会の変化に即応していない。例えば、消費者物価指数に通販による買い物が反映されていない。働く夫と専業主婦、子2人が「標準世帯」。時代は変わったと思う。毎月勤労統計をめぐる厚労省の不適切な調査で、政策やら景気判断に影響を及ぼす基礎的な統計の正確さが改めて問われているといえよう。


※ 画像はアンデス古代文明展より