「老いのデザイン」検証


午後からは雲が出てきたが、冷たい北風も比較的穏やかな一日。午前は病院の定期診察、午後は地域の公共交通を考える住民懇談会に出席、夜は居酒屋花金に参加と慌ただしい一日。


11年前2008年のちょうど今頃に東郷町にある愛知国際病院の川原先生の「老いを楽しく生きる」と題する講演を聴いた。アジアの地域保健医療にボランティアとして携わって来られた先生の話は大変重みのあるものだった。この時期になると思い出して、クマさんの日記でも今までに2回取り上げて先生推奨の「老いのデザイン」に自分がどの程度近づけたのか検証していた。きょうは3回目の検証だ。



    「老いのデザイン」

1.自己像を柔らかく変えてゆく
  肩書き社会で生きてきた自分を肩書きなしで付き合ってゆく社会の人間に変えてゆく。               
  11年経って、理想とするところに近づいたと自覚できる。


2.独立と依存のバランスを保つ
  濡れ落ち葉にならない。妻に先立たれて困らないような準備をしておく。

  11年経っても、「そのときになればなんとかなる」の気持ちは変わらない。




3.居場所と居がい
  趣味を広げること。語り合える仲間をもつ。

  リタイヤ後3.4年は「ボケ防止 のはずが今や 生き甲斐に」11年後には「ボケ防止 のはずが今や 意地となり」。  
  視力、聴力、体力の衰えが、趣味を広げる気力を削ぎ、現状維持が精一杯。


4. .人間関係の財産をつくる
  1〜3を通じてのヒューマンネットワークを財産とする。

  11年目、形式的にやり取りしているだけの年賀状の終活宣言をしてヒューマンネットワーク財産を「断捨離」。誰もが通る道で止むを得ないことだろう。



当初描いたデザインにも経年劣化が出てきた。検証の度に及第点がもらえないのは2だ。ひとりになったら、その時はその時で何とかなるものだ。と云う気があって一人になった時の準備をする気は起らない。体力は衰えても夫婦ともに元気でいるからという証だろう。これくらい楽観的に物事は考えた方がいいと思う。