「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」

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暖かな日になった。春の日差しにつられて、去年の11月下旬以来の1キロ超のウォーキングだ。気分がいいとカキコの意欲もわいてくる。2週間ぶりのカキコだ。

 

今週の日曜16日に「春一番」が吹いたとか。いつも「名古屋飛ばし」との評判のこの地方での「春一番」2年ぶりだそうだ。水曜の19日は二十四節気の「雨水(うすい)」、雪が雨に変わり、氷が溶けて水になるころだ。「雨水」の次の節気が3月5日の「啓蟄(けいちつ)」冬眠中の生き物が目覚めるころだ。この頃にはクマさんも冬眠から醒めたいものだ。

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 今月の初め頃から新型コロナウィルスのニュースを見聞きしないで一日が終わらない日はない毎日だ。23日の天皇誕生日一般参賀が中止なったことをはじめ、東京マラソン名古屋ウィメンズマラソンの一般参加者は参加料を払っただけで参加させてもらえない措置がとられた。今そこのある危機はどれほどのものか。読めないから不安が増幅している。

 

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」という格言がある。中国の思想書からの引用だと云われている。「禍(不幸)」や「「福(幸福)」は予測できないものだということだろう。確かに、コロナウィルスが一方的に「禍」になってばかりだとも言えない現象がおきているのだ。

 

国内の1月のインフルエンザ患者数はこの10年で2番目に低い水準だったという。手洗いの励行などの衛生意識の高まりが一因らしい。一方米国ではいち早く新型肺炎対策を打ち出しておきながら、インフルエンザが猛威を振い死者数は11万人余りに達したというから深刻だ。

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 安倍内閣にとっても、新型コロナウィルスは救世主でなかっただろうか?野党側はこんな危機に「桜問題」ばかり追及していたら国民からそっぽを向かれる心配もあっただろう。というか、攻めあぐねていただろう。また新型肺炎対策として、テレワークや時差出勤などを呼びかけ、「働き方改革」にはずみがついた。

 

クマさんにとっても、この療養中に「人間万事塞翁が馬」にぴったりの話があったが、それは次回に譲ることとしよう。いずれにせよ、「禍転じて福」という格言もある。そう振り返るためにも、目前の厄災を早く封じて欲しいものだ。

 

病床で思ったこと

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きのうのカキコで「早春賦」の歌詞をもじって「冬は名のみの・・・」と冬将軍をおちょくったら早速その仕返しだ。けさは今季一番氷点下2度の朝だ。舟ヶ峪公園の梅の写真を撮りに行くほどまだ元気なし。2年前の写真でお茶濁しとしておこう。

 

病院暮らしをしていると、世俗の雑事から解放された気楽さはある。ルームサービスの食事。音楽を聴きながら本や新聞を読む。これが、ホテルの一室でのことならいいが、固いベッドにナースコールのコード、テレビは千円のテレビカードを挿しこんで・・・。消灯は10時。脳裏に描く思いは、どちらかといえば、暗い後ろ向きのことばかりだった。以下はその中のひとつ。

 

 スイスで安楽死することを希望する日本人女性と、彼女の選択と向き合い続けた家族の姿を追ったドキュメントを一昨年NHKスペシャルで放映して話題を呼んだ。橋田壽賀子の「安楽死で死なせてください」がベストセラーになった。樹木希林のベストセラー本の副題に「死ぬときくらい好きにさせてよ」で多くの共感を呼んだ。

 

昭和天皇が「もがり」で葬送された。死者に腐食化など肉体的な死の兆候が出るまで埋葬せず、その期間で死を認知する習慣だ。今の上皇天皇時代にこの習慣の廃止について言及され話題を呼んだ記憶がある。

 

およそ1世紀前、森鴎外は小説「高瀬舟」で弟を安楽死させた兄を描き、安楽死尊厳死について問題提起した。医学界や法曹界や宗教界ではこの間議論されて来ただろか?

 

高齢化社会に続いて来る多死社会になってしまってからでは遅い。「心臓死」「脳死」「安楽死」「緩和ケア」など「死」とその周辺事態について広い視野からその定義を見直す時期にきているのではないだろうか。

「光の春」に誘われて

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一度も雪を見ることもなく迎えた「立春」から2日目。今季最後の冬将軍の襲来と云われながらも、けさの最低気温は氷点下にならず。「春は名のみの・・・」で始まる「早春賦」もこの季節の歌としてインパクトが弱々しい。今年は、むしろ「冬は名のみの・・・」だったようだ。

 

とはいえ、冬至の頃から比べると昼間の時間は40~50分伸びている。日光にも力強さが感じられ、空が一段と明るく感じられる。「光の春」だ。病気療養でひきこもり中のクマさんも、冬眠中の熊さんが春の光に目を覚まされるように、ようやく家の周りを散歩する気が湧いてきた。

 

振り返ってみると、12月に2週間、1月に3週間、2ヶ月で5週間入院生活だった。それだけ入院していても結果が出ていない。やりきれない。心臓があまりにも肥大していて、手術がうまくできなかった。頃合いをみて、再度の手術ということで自宅で経過観察中の身だ。

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 「立春」の声を聞きつけたのか、それとも体内時計にせかされたのか、寒風を遮る障壁みたいなものがある草むらでは、早春の野を染める愛らしい花、オオイヌノフグリの鮮やかな瑠璃(るり)色の花がまだ寒さに震えているようで精彩を欠いている。もう少し暖かくなれば、緑の葉とともに地面を覆うように広がると雑草とはいえ美しい光景だ。

 

 路傍のオオイヌノフグリに対し、庭の縁石に守られたムスカリは鮮やかな青紫色のぶどうの実に育っている。クロッカスは鮮やかな黄色の花ながら、路傍のオオイヌノフグリと同様寒風にさらされながら、花を開こうかどうか迷っている様子だ。

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 春の光に誘われて、ひきこもりから表に出て、この目で、この肌で感じとった「名のみの・・・」春ではない本物の春だった。わが身にも春が早く来てくれんかなぁ。(ブログを再開しようという気が春の兆しか! 不定期に気ままにカキコします。よろしく)

一時休業宣言

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ホワイトクリスマスどころか暖かなブルースカイクリスマスになった。ラジオ深夜便の伝えるきょう12月25日の誕生日の花はクリスマスローズだ。わが家のクリスマスローズは3月の初めに咲くのにどうして? ラジオ深夜便の伝えるところによると、クリスマスの時期に咲く品種もあるらしい。また、バラの仲間だと思っていたが、バラに似ているだけでキンポウゲ科だそうだ。

 

 いつもうつむきかげんに咲いている清楚な感じの花だ。これだけの実力があれば、十分メシが喰って行けるところに、クリスマスローズなんて大変な名前をもらって・・・。まるで、歌のうまさで右に出る者がいない実力ナンバーワンの美空ひばりと同じだ。名実ともに兼ね備えている。

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この1年で心に残る1枚と云えば1月12日の日記にアップした「沈まぬ太陽」と題する写真だ。「沈まぬ太陽」とは山崎豊子原作の日本航空の内紛をモデルにした社会派小説。10年以上前に渡辺謙が主人公を演じて映画化された。主人公がケニアのナイロビに左遷された時のシーンが思い出された。見渡す限りの大平原のいつまでも沈まない夕日に向かって立ちすくむ主人公だった。

 

破産した日航が経営の神様稲盛和夫氏の手腕でV字回復したと思った矢先の今年の1月頃は日航パイロットが飲酒検査で逮捕されたり、女性客室乗務員が勤務中に飲酒していた。現場の緩みだ。「沈んでいた太陽」からせっかく株式を再上場するまでに回復、「沈まぬ太陽」となりかかっているというのに・・・。こんなことが頭をよぎったのは年初のことだった。

 

年末の今、この「沈まぬ太陽」には別の思いが頭をよぎった。「沈まぬ太陽」もいいかもしれんが、「一陽来復」の春が来て運が開けてくることを望むばかりだ。

 

今年はリタイヤーして初めて海外旅行に行かなかった。ベストショットをあと2枚選ぶとしたら、色鮮やかな秋の紅葉が浮かんで来る。岩屋堂公園と三好丘のアメリカフウの並木だ。

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1年で最も昼が短い冬至から3日が過ぎた。最も昼が短い日から日脚は少しづつながら伸びただろう。悪いことが続いた後に幸運に向かうという「一陽来復」を願って「ん」の付く「冬至南京(かぼちゃ)}を食べたが、そんな即効があるわけでもないだろう。藁をもつかむ思いでの幸運を祈るきょうこの頃だ。

 

リタイヤーして10数年、今は亡き永六輔氏の説く「老いてから三つの心掛け」を実践してきたが、今挫折しかかっている。

その三つの心掛けとは

1.異性に関心を持ち続ける。

    心のときめきが若さを呼ぶ。  身だしなみに心がけるようになる。

 

2.歩くこと。

    季節の移ろいを感じる。 人に出会って話がはずむ。

 

3.続けてすることを持つ。

    すぐにあきらめない、続けてできるように工夫をする

 

1は灰となるまで大丈夫だろう。2は息切れがして続かない。3はクマさんの日記を続けるモチペーションがあがらない。

 

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13年前に生涯学習講座「ブログをはじめよう」で始めた「クマさんの日記」。ボケ防止を兼ねた自分の「忘備録」としてもってこいのお遊びだった。コメントを寄せていただいたり、覗いて時々声をかけていただく方があってこそ、それが励みになって「ボケ防止 のはずが今や 生き甲斐に」となり、13年も経ってアクセス回数が100万回を越すと「ボケ防止 のはずが今や 意地でやり」ここまで来たが、病には勝てない。体力が回復するまで休業(廃業ではない)することとした。皆様、どうもありがとうございました。春には再開するようがんばります。いいお年を。


 

一言で活きる「社会性」

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雨上がりの暖かな日和になった。今年もあと1週間余り。師走も「かぞえ日」の域となった。つまり、年内も指折り数えるほどになり、せわしさも募るものだ。ただ、今年の師走は、みよしの病院を退院後、来月20日の豊田の病院への入院までは安静生活を強いられていてシャバの空気に触れることもなく、せわしさも例年の半分以下と云ったところだ。

きのう22日は冬至。朝から曇天、夕方には雨まじり。5時前に雨戸を閉めた。5年前の冬至の日の夕暮は見事な夕焼けだった。「一陽来復」を願って冬至かぼちゃを食べた。モノの本によれば、かぼちゃは「南京(なんきん)」に由来する。「ん」がつくことばは「運が付く」つながる。なるほど。

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おととい12月21日の誕生日の花はケヤキラジオ深夜便。パーソナリティーもこの時季にどうしてケヤキの花?と疑問を持ったと思う。「ケヤキにも花は咲きますよ。4月か5月に」と付け加えていた。ケヤキは真冬になると葉を落としつくし、細かく枝が分岐するためもっとも美しい姿になると云われている。そんなことから、この時季に選ばれただろう。

 

われらが家庭菜園のシンボルツリーのケヤキは菜園の西端に鎮座している。樹高はゆうに5mはあるだろう。きょう23日現在ではまだ褐葉の段階で落葉はしていない。年によっては年末にはパラソル形の樹形を現すときもある。ニレ科ケヤキ属。

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12月22日の誕生日の花はポインセチアラジオ深夜便が伝える。メキシコ原産の観葉植物。花は最下段右側の写真にあるようにあまり目立たない。その花の蕾を包んでいた葉を苞葉(ほうば)といいそれが赤く染まるのが鑑賞の対象となる。その赤さはキリストの血の色に例えられる。シクラメンと並んでクリスマスには欠かせない花だ。トウダイグサ科トウダイグサ属.

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けさの中日新聞「中日春秋」欄。作家の井上ひさしさんは電車に乗ると「女性のように足を揃えて座っていた」という。氏の娘さんがその著書の中で語るには、「人の迷惑にならないようにするためには、自分ができることは何かを考える。それが社会性だと教えられた」という。

 入院中に読んだ新聞の投書(12月2日朝日朝刊「声」)投稿者80歳の男性。ウォーキングの際のごみ拾いを9年やっている。しばしば通りすがりの人たちに「歩くごみ箱」扱いを受け「ほら、そこにごみ」「おじさん、そこにもあるわよ」と指図がましいことをいう。「自分でやったらどうや。失礼と思わんか」と言ってやりたい気持ちだ。

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 電車で足を広げたり、組んだり。座席で詰めて座らない人たちに対しても、ごみ拾いをしているボランティアに対しても、「すみません」「ごめんなさいね」「ごくろうさま」と穏やかな声と丁寧な言葉ひとつで社会性が活きてくるのではないか。

 こんなことは学校で習うことでもない。なんでもかんでも学校に押し付けるのは間違っている。学校に上がる前に家庭でのしつけの1丁目1番地でないだろうか。

一陽来復

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今年も余すところ10日あまり。あさっての22日は冬至だ。、夏至と反対に、夜が最も長く、昼が短い日。夏至から徐々に日照時間が減って行き、太陽の力が一番衰える日だ。中国では「一陽来復(いちようらいふく)」と云って、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるというわけで、新しい年が来るという意味で先祖を祀る習俗があったという。

 

そうしたことが転じて、悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味も込められている。良くないことが続いている人も、冬至が来たら「さあ、これからは良いことがどんどんやって来る」と気持ちを切り替えよう。そういうきっかけを与えてくれる日でもあると云われている。

 

この「一陽来復」クマさんファミリーのためにある日でもあるようだ。10月にカミさんが甲状腺を患い手術。11月にクマさんの心臓病が薬の投与で10数年だましてきたが、とうとうアウト。来年1月に手術となった。冬至を境に「一陽来復」となることを願いたい。

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ラジオ深夜便によると、きのう12月19日の誕生日の花はシクラメンだった。この時季ポインセチアとならんでクリスマスには欠かせない花だ。そして、布施明歌うところの小椋佳作詩作曲「シクラメンのかほり」も欠かせない。以下のカキコ3度目の登場だが、反響を呼んで印象深いので今年もまた登場と相成った。

 

      「シクラメンのかほり小椋佳作詩作曲                          

 ♪ 真綿色した シクラメンほど / 清しいものはない / 出逢いの時の 君のようです / ためらいがちに かけた言葉に / 驚いたように ふりむく君に / 季節が頬をそめて 過ぎて行きました

 

 この歌がヒットした40数年前だと思うが、酒席でシクラメンって香りのある花か?と話題になったことがある。リタイヤーしてからでも、ブログで香りがあったとしても「かほり」でなく「かをり」と表すのが本当でないか。東大法学部出身の小椋佳なんて奴はええ加減なもんだ。などとカキコしていた者もいた。

 

 数年前だったと思う。ある作家の「《シクラメンのかほり》の謎とき」と題するエッセーを読んだ。胸のつかえが治まった感じだった。その受け売り。その作家が偶然ネットで小椋佳の奥さんの名前を知った。佳穂里(かほり)さんだった。

 

なるほど、3番まで歌詞を読んでもシクラメンが香るとはどこにも云っていない。「シクラメンほど清しいものはない」「シクラメンほどまぶしものはない」と云っている。しかも、そのあとに「出逢いのときの君のよう」「恋するときの君のよう」とシクラメンが「君」に見立てられている。

 

 小椋佳にとって妻の佳穂里さんは「シクラメンの君」であったのだ。ならば題名は「シクラメンの佳穂里(かほり)」とすればよかったのだ。香らないシクラメンの謎がこれで解けた。外交交渉も流行歌の歌詞も裏にあるものを読み解いてこそ真の意味が見えてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

岡目八目 長男殺害事件

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久しぶりの雨だ。12月にしては比較的暖かな雨だ。退院する際、医師から心臓に手を施すまでは家では入院中と同様な生活をと釘を刺されている身には、晴れようが、降ろうがどちらでも生活パターンには変わりがない。味気ない。

 

きょう12月17日の誕生日の花はビワとラジオ深夜便が伝えていた。ウォーキング沿道でもあちこちで見かけるし、わが家にも20年位前から1本ある。11月の初めから年末頃まで白い地味な花を咲かせ、5月頃に実がなる。わが家のものは摘果しないので、小さな実ばかりで鳥の餌となっている。

 

名前の由来は葉の形が楽器の琵琶(びわ)に似ているところから。「桃栗三年柿八年」の後に、「梅は酸いとて十三年」「柚子は九年でなりかかる」「枇杷は九年でなりかねる」などと続けてもいうことわざがあるように、ビワは実がなるまでにけっこう年数がかかる。

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長男を殺害した元農水省事務次官に懲役6年の判決。きのう東京高裁であった。熊さん八っあん的感覚では実刑重すぎる。気の毒だ。執行猶予がついてもいいのでは。といったところだろう。司法の門外漢であるクマさんも、これに近い見方だ。市民的感覚の裁判員の意見がどの程度判決に反映されているか疑問だ。

 

被告がこうなる前に外部に相談してないことが指摘されているが、役所では天皇的存在の人が外部に相談するなんて言うことはプライドが許さないだろう。ネットではこんな意見も出ている。「 放っておいたら、他人を殺める恐れのある息子を、自分の手で葬った。どれほどの決断と勇気と責任感がある人物なのか.この父親は、本物の武士道を貫いたのだ」

 

ガキ仲間のブログでは元裁判官が「検事の求刑が少し低くないか。結論は妥当と思う。世間も納得する判決であり、控訴はないでしょぅ。執行猶予は初犯を考慮しても、無理。」

 

現役弁護士は「素直な感覚として 懲役6年刑務所へ行けは どうか?  私の扱った子殺し裁判では 懲役4年だった」

 

岡目八目だ。