「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」 子規

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朝は6時前に夜が明け、夕は6時過ぎまで明るくなった。そう、きょうは彼岸の中日、春分の日。桜が満開になってもおかしくない日や「春は名のみの風の寒さ」と愚痴りたくなるような日を繰り返してようやくたどり着いた感のきょうの彼岸の中日だ。この頃になると思い出すのが、正岡子規の句だ。

                「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」 

子規は、春の彼岸を迎える度に、母を偲び、供養の手向けをしてシンプルながら母が残した言葉、なんだかしんみりと心にしみる。          

                                                

                                                           1月から2月にかけて、多治見の仲間のブログで素人には難解な俳句の論争(当事者には失礼と思うが)で、リングにタオルが投げられる始末があった。クマさんは傍観者だったが、普通の事を普通に「五七五」にすれば立派な俳句ができるのに何をグタグタと・・・。

そんな心境だった。

              「

 ゴルフで止まっているボールを打つのに何が難しいというのと同じで普通の事を普通に「五七五」にするのもそう簡単ではなさそうだ。やはり、正岡子規は天才俳人だ。