Ω(オメガ)カーブ


朝から雲が広がり、いつ降り出してもおかしくないような空模様。夕方にはポツリ、ポツリ。ラジオ深夜便による、20日土曜の誕生日の花はアキノキリンソウだった。10月頃になると穂が伸びてきて黄色い小さな花をいっぱい咲かせるこの花、かつては里山に囲まれた水田の周辺、ため池の土手などにごく普通に見られ、代表的な秋の花だった。


今では、そのような環境の減少や荒廃と共に見られる場所が少なくなり、「秋の道ばたの黄色い花」はセイタカアワダチソウに取って代わられた感がある。とは、緑化センターでの先生の説明。画像は緑化センターで観察した際のもの。別名「泡立草(あわだちそう)」 菊科アキノキリンソウ属。



平成10年から5年大阪に単身赴任した。ほゞ週一のペースで帰省していた。名古屋出張を兼ねてのこともあったが、車利用がほとんどだった。会社からみよしへ向かうのには名神高速より阪神高速に乗り西名阪、東名阪のコースが多かった。西名阪は亀山まで国道で高速並に走行出来て無料。覆面パトが多い事でも知られている。幸い5年間一度もつかまらなった。


土曜日の朝日新聞デジタル版に名阪国道、魔の「Ω(オメガ)カーブ」なぜ生まれたとの見出しで同国道にある魔のカーブ生い立ちについて言及していた。大阪から西名阪を東に向かうと、法隆寺を過ぎ天理東ICから奈良市の福住IC間約10kmの区間が急な坂やカーブが連続し事故多発区間だ。上空から見ると形がギリシャ文字のΩ(オメガ)を思わせる。



この区間の高低差は400mで自動車専用道路の限界とされる6%の急勾配がある。帰省するときは福住IC,大阪に向かう時は天理東ICまでくるとほっとしたものだった。記事では不自然にも思えるその形状について、ポイントは「トンネル」と「高度経済成長期」にあったと推測していた。


亀山と天理73kmを結ぶ名阪国道東京五輪の前年’63年4月に着工、’65年12月に完成している。工期の短さから「千日道路」とも呼ばれたと云う。当時自動車の生産台数は’62年99万台、’63年128万台、66年には228万台に達し、マイカー時代の到来と共に道路整備も急ピッチに進められた。Ωカーブの区間も時間と費用のかかるトンネル工事を避け、山を迂回するルートにしたのではないか。と。


帰省のときの喜び出社の時の悲しみ、悲喜こもごもの物語とともに通ったこの道路にもこんな物語があったのを改めて知った。