リメンバー3.11


3.11東日本大震災7年目の記念日も、名古屋女子マラソンのニュースも霞んでしまうようなビッグニュース続きの先週末だった。南北朝鮮首脳会談、米朝首脳会談の具体化と森友文書書き換えを財務省が認めたことなどだ。新しい週明けは真っ青な空と日差しは温もりがあるが、風が冷たい。何だか波乱含みを予感させる空模様でもある。


地震津波原発事故による大災害で2万人を超す人命が奪われ、行方不明のまま。7年経つ今でも7万人を超す人たちが避難生活を続けている。戦災や大きな災害を体験していない自分には、この災害は相当なショックだった。「記憶の風化」は被災者への罪深い裏切りだろう。毎年この日に自戒を込めて当時の日記を読み返している。当時、菅さんていう首相がいたなぁ。



2011年3月11日のクマさんの日記の一部だ。《照ったり曇ったり、時折にわか雨、早朝にはうっすらと春の雪。目まぐるしく変わる天気の挙句の果ては地震がぐらり。国内観測史上最大の地震とテレビが伝えていた。こんな長い時間揺れた地震は初体験だ。東北地方では大災害のようだ。


きょう列島に観測史上最大の激震が走ったが菅内閣では日替わりメニューのように連日屋台骨を揺るがすような激震が起きている。ときあたかもこの3月11日に菅首相在日韓国人から献金を受けていたことが発覚し列島を走った地震菅内閣に止めを刺したことになるかもしれない。》



7年後の2018年3月11日安倍首相は東京の国立劇場で行われた政府主催「東日本大震災7周年追悼式」に出席していた。前日の10日、森友文書の書き換えは財務省の指示で行われたことが明るみにされ、12日には国会で報告されることが決まったのだ。内閣総辞職との声もささやかれ、安倍さんの心中も穏やかではなさそうだ。3月11日は首相の厄日だ。


《震災と菅首相、同じ7年前の出来事と人物。震災に対する7年という距離感と菅さんに対するそれとは随分違って感じられる。菅さんは過去の人だからはるか彼方の遠い過去の人という距離感だ。震災からの7年は復興がまだ道半ばであるだけに菅さんの存在よりずっとずっと身近に感じる7年という距離感だ》





《この国難に自分は何ができるか?真剣に考えた。4月20日から10日間の中欧旅行キャンセルするかとか・・・。そんな時に「電気が足りない関東・東北地方に私たちが節電して融通しよう」なんて関西からのチェーンメール。メールの転送だけでなくブログにカキコすれば自分のできる大きな貢献だ。と喜んだのも束の間、いたずらメールだとブログのコメントで知らされた》そんなこともあった。



《この国難に自分は何ができるか? 復興特別所得税が年金から引かれて貢献しているのだ。天引きだから痛税感が、つまり距離感がない。これを、各自現金で納めるとなると痛税感、距離感が出ると思う。収税効率の問題はあるが》


復興特別所得税でわれわれは東北の被災者への共感につながっているのだ。天引きだからついつい忘れがちだ。あの日の記憶が薄れ、遠い地への想像力も鈍りがちだ。しかし津波などに襲われた被災地の生活は、7年の時を経た今も、震災以前の日常とは遠い。それを思うと、やはり切ない。