多治見空襲


先週末から不安定な天気が続く。きょうも朝一雨あった。灼熱地獄の晴天続きも困ったものだが、台風絡みの不安定な天気もうっおしいものだ。振り返ってみれば、フックラインを描いて本土上陸にしてきた12号台風はおよそ2週間前のことだ。今、15号が九州を狙っている。常時天気図上に台風が本土をねらっている構図だ。まるで、戦争末期南太平洋・西太平洋の島や洋上の空母から本土を狙っている米軍機の群れみたいだ。


きょう8月14日の誕生日の花はホオズキラジオ深夜便が伝えていた。6月から7月にかけて家庭菜園のあちこちで花が咲き、その後六角状の「ガク」の部分が実を包み、オレンジ色の袋状になる。この袋を死者の霊を導く提灯に見立てたところからお盆の時期の誕生日の花に選定したのではないか? ナス科ホオズキ属。上の写真は飾り物のホオズキ



先週の金曜の中日新聞朝刊「この人」欄。多治見空襲を研究する市職員 鬼頭佳嗣(きとうよしつぐ)さん46歳を掲載していた。自分もこの空襲に遭っている上、戦争を語り継ぐことができる最後の世代だろうということで、ことのほか関心を持って読んだ。


故郷多治見は何の軍事施設もないのに終戦も間近い昭和20年7月15日太多線の列車が多治見駅到着時に艦載機の機銃掃射を受け、多数の死傷者が出た。家が駅のすぐ近くだから、この空襲は憶えている。艦載機が低空で飛んできてバリバリとやる。押入れの布団の中に潜り込まされた。当時4歳だった。




彼は多治見市役所の職員の傍ら大学時代歴史学を専攻した関係から在野の歴史研究者としての道を歩んでいる。多治見空襲に遭った経験者を探して訪ね歩き、空襲を語り継ぐ市民活動にも携わり、未解明の部分が多いことに気づいた。米軍の公文書と体験者の証言を照らし合わせて、いくつかの新事実を掘り起こした。


悲劇を今のうちに語り継がねばという使命感で 証言録「多治見空襲を知っていますか?」を自費出版した。戦争経験者の「絶対繰り返さないでほしい」というメッセージに若者はうなづきながらも、どうも心に響かないところがある。反戦メッセージを若者に受け取ってもらうには、まず事実を正確につづり後世に伝える必要がある。と彼は説く。


戦争を語り継ぐことが出来る最後の世代として大いに共感する。多治見の図書館へ照会。自費出版で市販はされていない。寄贈本として図書館にあるが、貸出中。リクエスト多く、順番待ち。らしい。