多治見が暑いワケ

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朝夕の涼しさの中に“爽やかさ”が感じられるようになった。明後日8日は二十四節気の「白露」だ。夜の間に大気が冷え込み、草花に朝露が宿ることから名づけられただろう。野にはススキの穂が顔を出し、太陽が離れていくため空が高くなるなど、本格的な秋の到来を感じられる頃だ。ウォーキング中に仰ぐ空、路傍に咲く草花もそんな雰囲気を後押ししている。

 

きょう9月6日の誕生日の花はヨルガオとラジオ深夜便が伝えていた。8月下旬頃から丘陵の荒れ地に青いアメリアサガオと同じ場所に咲いていることを見かけることが多い。夕方から咲き始め、白い花が開いて翌朝にはしぼむ。名前のとおり”夜に開く”。 夜活動する昆虫を引き付けるために芳香を放つ。。つるには少しとげがあり、触ると痛い。どんどんのびる。昼顔科。サツマイモ属

 

ヨルガオより活発な活動をするのが、オシロイバナだ。野や街中でも6月下旬から10月下旬までラッパ型の赤、白、黄の花を咲かせる。夕方頃に活動する昆虫に対しては、花の多彩な色で引きつけ、夜に活動する昆虫には、その香りで引きつける。白粉花(おしろいばな)科。オシロイバナ

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 この夏わが故郷多治見では国内最高気温を記録した日が幾日もあってその都度全国に名をとどろかせた。今月の3日も35.3度で国内最高だったようだ。2007年8月16日には40.9度の観測史上歴代2位(1位は41度の高知県の町)の記録で一躍全国区の都市として名を上げた。多治見の連中と毎年旅行をしているが、訪問地で多治見から来たというと、あの暑い町の多治見ね。などと云われることがけっこう多い。

 

地場産業の陶磁器の衰退で斜陽都市化した多治見も降って沸いたような「暑さ」で知名度を上げたのだ。この暑さのメカニズムを筑波大学の計算科学研究センターが気象データで解析して、国際的な専門誌に発表した。そんなことが地元の新聞に出ていて、多治見の仲間のブログで話題を呼んでいた。

 

その発表された結論というのはこうだ。「滋賀・岐阜両県にまたがる伊吹山地フェーン現象で高温になった西風が濃尾平野で熱せられ多治見に届いていた」つまり、琵琶湖の北付近の空気が伊吹山地を越え、フェーン現象で高温になり、西風によって広い濃尾平野を運ばれるうちに、熱くなった市街地の地表面の熱を次々に拾い、多治見に到達するのだ。

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日本が高度成長時代に入る前、伊吹山から東の濃尾平野にかけて、今のように新幹線もなければ名神高速もなかった。濃尾平野を西から東に吹く風もコンクリートで熱せられた地表面の熱を拾うこともうんと少なかった。多治見も世間並みの暑さだった。多治見のまわりの様子を仲間はブログでこう表現していた。

 

 「小学校時代、夏休みに 毎日 日記を書かされ、気温もつけた。きおくによれば、33度、34度まではあったが・・・37度、38度なんてなかった。田んぼの水がなくなり、緑の山が 住宅地になったんだから・・・気温があがるのもむべなるかなである。」

 

 多治見在住の仲間たちに暑い思いだけをさせておいて、自分はあの暑さ日本一の多治見出身やと誇らしげに語るクマさん。これが、無責任男の”ええとこどり人生”かもしれない。

 

香港問題に思う

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グラウンドゴルフのホームグランド、桜公園の多目的グランドのフィールドには赤トンボが飛び交い、空を見上げれば、不安定な天気ながらも時折高い秋の空の顔をのぞかせる季節になった。とはいえ、残暑厳しく、きのう多治見は真夏日で、全国最高気温35.3度を記録したとニュースで伝えていた。

 

きょう9月4日の誕生日の花はレンゲショウマとラジオ深夜便が伝えていた。解説によると、キンポウゲ科多年草。花は神秘的で、「森の妖精」とも言われている。花がハスに、葉がサラシナショウマ晒菜升麻)に似ているので、レンゲショウマ(蓮華升麻)の名がつけられたそうだ。どんな花かネットで調べると、確かに魅力的な花のようだ。、

 

この花の葉が似ていると云われるサラシナショウマも「秋を告げる白」としてメディアで取り上げられることが多い。10年前の9月1日に生涯学習講座で伊吹山に行き、観察して来た。長さが20~30cmで太くて長い花穂が林立して遊歩道の山腹を白く染めている。この花穂、一升びんを洗うブラシに似ている。

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気象衛星スパコンのおかげで、気象の予測は精度が上がって来たが、外交の世界だけは熊さん八っあんにはまったく予測がつかない。日韓問題、米中貿易戦争、香港問題、英国のEU離脱問題と目白押しだ。

 

どの問題にしても、共通して言えることは観光業などの経済への影響が深刻化するだけでなく、デモ賛否で社会の二分化が進み双方の対立の激化が留まる事を知らない段階に来ているのが現状ではないだろうか。

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特に香港問題では、一党独裁国家の体制の維持、メンツの維持のためにはなりふり構わぬ行動に出る中国の恐ろしさを改めて思い知らされている。キャセイ航空のCEOを辞任させることを手始めに、乗務員らのスマホをしらべ、政府に批判的な内容の有無のチェックをして人権もなにもあったものではない。社内は恐怖に支配されているという。

 

最近では、香港を中国とは別の国であるように表記したTシャツなどを販売したとして、8月に高級ブランドの「ヴェルサーチ」「コーチ」「ジバンシィ」が相次いで大々的な謝罪に追い込まれたという。

 

二世代同居の家で玄関まで別々にしたから、家風に関する干渉はしてくれるなという若夫婦。親は親で、日常生活は別々でも○○家の跡取りとして、家としての節目節目の行事や家風は継いでもらう。と主張。中国と香港はこうした状況に似ているのではないかと思う。いずれにせよ、10月1日が中国建国70周年の大きな節目。そんな目出度い時に香港での騒ぎを世界に発信されたら、中国政府のメンツが立たない。10月1日がターニングポイントになるだろう。「今日香港 明日台湾 明後日沖縄」とならんことを祈る。

 

「9月」に思ったこと

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1年の残り三分の一、新しい週が始まった。晴れ上がったが日中は残暑厳しい。グラウンドゴルフの夏休み明け初日、強い日差しに一汗も二汗も・・・。

 

きのう9月1日は「防災の日」。96年前20万人近い死傷者を出した関東大震災の記念日だ。子供の頃、明治生まれのおふくろからことあるごとによく関東大震災の話を聞かされた。この大震災を身をもって経験した人もほとんどいなくなり歴史上の出来事になった感がする。8年前の3月11日の東日本大震災があまりにもインパクトがあり余計にそう感じる。

 

今年も町内を挙げての防災訓練が小学校で行われた。参加者が住民の1割にも満たないと役員さんたちが嘆いていた。いま災害に遭っている北部九州の人達からみれば、我らは「平和ボケ」か。

 

 8年前の3月にあれだけの大災害があったのに、どうして9月に「防災の日」と称して防災訓練などをするのかと疑問を持つ人も多いのではないだろうか。それなら、いっそ3月11日を「春の防災の日」9月1日を「秋の防災の日」とでもしたらどうだろうか?

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けさのラジオ深夜便によると9月2日の誕生日の花はミョウガだった。夏の終わり頃から初秋にかけて発生して秋を告げる風味だ。そうめん、冷奴の薬味、天ぷら、酢の物でも重宝だ。ウチでも5、6年前には栽培していた。写真はその当時のもの。

 

 最近はあまり聞かなくなったが、昔は「ミョウガを食べるとバカになる」とよく云われていた。どんな根拠かとネットで調べてみた。学術的な根拠はないようだ。釈迦の故事に由来するようだ。釈迦の弟子に記憶力の乏しい男がいて、自分の名前すら忘れてしまう。そこで名荷(みょうが:名札のこと)を首にかけさせたが、そのことすら忘れてしまった。そこで名荷と茗荷が同音のことから、このような言い伝えが生まれたとされる。

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 「9月」と聞くと、日が短くなるこの時期、明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しているのではないだろうか。そんなことからだろう。学生時代に聞くラジオでは映画「旅愁」の中で歌われるフランクシナトラの「セプテンバーソング」が人気を得ていた。

 

時代はぐんと下がって昭和の終わりから平成にかけては竹内まりやの「セプテンバー」がこの時期になると、ラジオでもよく流れていた。どちらの「セプテンバー」も、最近ほとんど耳にすることがなくなった。

 

ベートーベンの第九(交響曲第9番)といえば年末の風物詩みたいなものだと思っていたが、そうでもない。きのうみよし市内で「夏の第九」があって、聴きに行った。考えてみれば、長野冬季五輪の開会式で、小澤征爾の指揮により世界五大陸を中継して「第九」が演奏されたこともあった。東日本大震災の後、東京で犠牲者を追悼するために演奏されたのが「第九」だった。

 

その「吹奏楽でうたう第九」が市文化センターであった。合唱は「みよし第九を歌う会」のメンバーおよそ100人。市内のコーラスグループから参加している。カミさんが以前入っていたコーラスグループからも大勢参加している上、ご近所さんも多い。毎朝のウォーキングメンバーもいる。演奏はプロの賛助出演も混じった市内の社会人吹奏楽団およそ50人だ。

 

下は中高校生から上は80歳近いジジババ100人の大合唱。指揮者と合唱のソリスト4人だけがプロで、吹奏楽も歌い手も皆アマチュアだ。それが、力強い合唱と演奏で感動を与えてくれた。感動でこみあげてくるものさえ覚えたほどだ。

 

日頃親しく接している人たちの普段見せない一面を見た思いで、こんなにも感動しただろう。ベートーベンの交響曲6番田園を東京フィルハーモニー交響楽団演奏のCDで時々聴くが、熊さん八っあんにはオーケストラと吹奏楽の音色の違い位はわかっても技術的な奥深さや巧拙などまったくわからない。だから感動もするだろう。

AIに監視されて思った

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随分と人騒がせな秋雨前線だ。経験をしたことのないような大雨を降らせた地域もあれば、いつまでも不安定な天気が続く地域がある。幸いこの地域は後者の方だが、うんざりするような日が続く。きょう8月30日の誕生日の花はキツネノカミソリラジオ深夜便が伝える。この花の自生地が近郊にあって、毎年8月中旬過ぎになると新聞の地方版に写真入りで載ったり、テレビのローカルニュースで放映されることが多い。

 

足助の奥、稲武の道の駅「どんぐりの里」から茶臼山方面へ約10分。長野県との県境に近い。路側帯に駐車。登山口から歩くこと600m約20分。大栗山の一角一帯にオオキツネノカミソリの自生地がある。6年前の2013年の今頃見物に行ったことがある。その時の写真だ。

 

ケヤキの大木が林立する山腹にうすいオレンジ色のじゅうたんを敷き詰めたような光景が目に飛び込んでくる。木漏れ日の光の帯がまぶしい。そもそもこのオオキツネノカミソリと云う花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の花でヒガンバナにそっくりだ。花弁の色はヒガンバナが濃いオレンジ色、こちらは薄いオレンジ色。両者とも扱い方によっては有毒。キツネの出るような薄暗い場所に咲き、葉がカミソリに似ていることからのネーミング。この大栗山は国内最大級の自生地と云われている。

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山腹の避難小屋の前に案内板がある。こんな記述だ。「今から120年ほど前、稲橋(稲武)の八幡神社を建設するとき、諏訪大社からいただいたケヤキ130本を大栗山の一画に植えた。それがケヤキの森となった。大栗山一帯には、大勢の木地師が住みつきオオキツネノカミソリを薬草として栽培していた。木地師たちが移住した後にもケヤキの森の中にオオキツネノカミソリはひっそりと生き続け、きれいな花を咲かせている。」

 

キツネノカミソリオオキツネノカミソリの違いは、基本種は前者、後者は変種で花の大きさの違い。読んで字のごとく、後者は花がビッグだそうだ。色、形が特別美しいものでもないのにもてはやされるのはどういうわけだろう? 同種ながらヒガンバナほどポピュラーでなく希少性、しかも自生群生している。大栗山が国内最大級の自生地。 名前が大仰で、どんな花が咲くか見てみたくなる。そんなところだろう。

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きょうから韓国で始まるU―18W杯(18歳以下の者で競う野球のワールドカップ)に臨む高校日本代表に昨近の日韓関係に配慮してかと思うが、日の丸のロゴなどが入ったポロシャツを着用させず、無地のものに変更して、現地入りさせたことが話題になっている。国の代表としての誇りをどう思っているか、高野連の体質を示したということではないだろうか。

 

高野連は春と夏の甲子園高校野球を主催する毎日・朝日両新聞から役員を送り出し組織を仕切っていると云われている。日の丸・君が代に対してアレルギーのある両新聞の思想が反映された措置だと思うのは、クマさんの穿ち過ぎか?

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10月に国内旅行に行こうとして、パソコンの旅行エージェントのサイトでそのコースの予約状況を調べた。すると、どうだ。こちらが頼みもしないのに、その後幾日間にも渡ってパソコンを開く度に、そのコースやらよく似たコースの宣伝が、いやというほど飛び出してくる。

 

人工知能(AI)に自分の心の中まで監視されているようで、なんだか気味が悪い。AIを利用して、このように人の心を読んでいくことの延長線上に、商品化され売り出されて政府の個人情報保護委員会から是正勧告が出された「「就職内定辞退予測」があるだろう。

 

個々の就活生には事実上無断で、サイトの閲覧状況をAIで分析して辞退率を割り出したという。就活生を勝手に5段階に分けていたそうだから、人生を左右しかねない話だ。お隣の一党独裁国家だったら、おそらく日常茶飯事でこんなことが行われているのではないだろうか。民主主義国家の日本でこんなことが横行しては恐ろしい。

 

絶滅したもの、しぶといもの

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今週に入って、ちょっぴり秋の気配が感じられたが、何と言っても時はまだ8月だ。そんなに簡単に秋に入って行くとは思えない。週末から9月にかけて傘マークが並ぶ。ススキ梅雨、秋霖(しゅうりん)が待ち構えているようだ。北部九州は未曽有の大雨のようだ。

 

 一昨日26日の誕生日の花はケイトウラジオ深夜便が伝えていた。初夏から11月頃まで鮮やかな色のケイトウがわが家でも花壇を彩っている。丘陵の畑に咲いているのをよく見かける。花が鶏の鶏冠(とさか)状に見えることからのネーミングらしい。        

 

英語でも「cocks-comb」(鶏のとさか)。この花は世界中のどの人が見ても「鶏のとさか」に見えるようだ。花が鶏冠状や丸くなって咲くものや、槍のようにとがるものもある。色は赤、黄、橙など。ひゆ科ケイトウ属。

 

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 猛暑の日中を避けてのことだろう。夜明けとともに丘陵地の学校の運動場くらいの広さもあるタバコ畑では葉タバコの収穫。自分の背より高く育った茎からA3判の紙一枚ほどの大きさの葉を摘みとり、座布団を重ねるようにせわしくなく積み上げている老夫婦。 奥さんが積み上げたものをご主人が回収、軽トラックまで運んでいる。

 

 10年くらい前までは、この時期この地域ではごく当たり前の光景だったらしいが、だんだんタバコ農家が減って今ではまったく見られなくなり大根畑に姿を変えている。写真は8年前の今頃の季節の早朝ウォーキングで撮ったものだ。

 

このタバコ、6月の初めが花の咲く時期。蕾が膨らんで明日には咲くだろうと期待して、翌日行くと花が全部摘み取られている。花が咲くと葉に栄養が行かなくなるので「芯止(しんどめ)」という花摘みが行われるそうだ。

 

左側写真の上段左は、明日かあさってには咲く状態。上段右は花摘みの時の落ちこぼれの花一輪。下段は400〜500m先にある休耕田が花摘みしたタバコの花の墓場。田んぼの中に山盛りが4つも5つもある。

 

世の中には蝶よ花よと育てられる花もあれば食い扶持べらしのために墓場行きの花もある。花が犠牲になって墓場に行き、葉が成長して製品化されても百害あって一利なしと袋たたきにあうタバコ、なんと気の毒な存在だろう。昔「動くアクセサリー」今「人類の敵」のたばこだ。三好丘では絶滅種の葉タバコだ。

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葉タバコの生産のように、およそ10年の間にまったく姿を消してしまったものがあるかと思えば、10年1日のごとく変わらないのが、中国格安ツアーでないだろうか。8年前の秋「5つ星ホテルに泊まる西安」のふれこみにつられて行ってみればさんざんの目だった。今でも「北京・天津4日間39900円」なんていうのは、クマさんの経験した格安ツアーと同じ格安ツアーの部類で、10年1日のごとく「安かろう、悪かろう」は変わってないと思う。

 

ホテルは確かに5つ星、まちがいなかった。旅費全体を低く抑えるために、搭乗率の悪い時間帯の航空便になる。セントレアを夕方に出て、西安のホテルに入ったのは午前1時過ぎ。帰国の便は西安発朝8時。ホテル出発は5時半。安いツアーだから、これくらいは我慢しよう。

 

安いツアーおなじみの”義理ショッピング”。行く前からある程度はわかっていたが、これにはうんざりした。工芸品店、お茶の店、寝具店。北京でも上海でも桂林でも連れて行かれたことのある国家が関与する工芸品の展示場でのショッピングは催眠商法そのものだ。その他の店でも半ば監禁状態で誰かが買わなければ解放されない。昼食や夕食のレストランでも客がテーブルを囲んで談笑してようが構わず土産をしつこく売りに来る。酒の勢いで気前よく買ってきたことはいいが、賞味期限切れで恥をかいた。

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 「格安ツアー」は「安かろう、悪かろう」とここまでは仕方ないと割り切れる段階まではいい。それを越すとしっぺ返しを食うのは結局自分だ。元受会社の営業政策で下請けを締め付けるから、下請けは2次下請けである”義理ショッピング”の店やレストランで帳尻合わせをせざるをえない。店やレストランは客に買ってもらって帳尻合わせをせざるをえない。しつこくなる。時間がかかる。客はせっかくの観光場所の見学時間が短くなる。   

 

現に西安の南の城門の見学は真っ暗になってからになった。書院門の古文化街で書道の筆や墨を買うことをカミさんから頼まれていたが時間がなくなってしまった。安いツアーに飛びついたしっぺ返しは痛かった。「兵馬俑」が第一の目的だったから、それができればしっぺ返し仕方ないとすっか!                      

 

10年の間、不愉快な思い出を残す格安ツアーが存続していても豪華ツアーが増えて、格安から豪華までまで選択の幅が広がったとみるべきか。「格安ツアー」は絶滅危惧種になってはいるだろうが、その需要があるからしぶとく生き続けている。     

 

 

 

 

「夏の終わり」&もうひとつの「あおり運転」

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東アジアの国家間のぎくしゃくした関係とは違って、お天道さまと二十四節気の関係は息がぴったり合っている。暑さもやわらぐ頃といわれる「処暑」を過ぎたら、日差しが「痛い」感じから「柔らかい」感じに変わってきたきのう、きょう。朝夕は凌ぎやすくなった。「夏の終わり」を感じる。

 

庭の掃き掃除をしているとセミの抜け殻やせっかく土の中から出てきたが、もう力つきてピクピクしているものが二匹も三匹もいる。セミの卵は木の幹の中でふ化し、幼虫となって土の中にもぐること6年。もぐらの餌食となることから逃れて外に出て羽化。成虫になったら毎日がサバイバル。鳥、蜂、蜘蛛、人から狙われる。

 

幾多の試練を乗り越えて生き残っても、メスのセミの交尾は生涯に一回だけ。オスは複数回の交尾が可能。性比は、ほぼ1:1だそうだから、メスに恵まれず生涯を閉じるオスのセミの割合はおよそ37%。先日ラジオで聞いたこんな話を思い出したら、なんとも哀れになってくる夏の終わりだ。

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 おととい24日の誕生日の花はカラスウリラジオ深夜便は伝えていた。秋の赤い実を見かける人はかなり多いと思うが夏の夜に咲くあの神秘的な花を見かける人はそう多くない。とパーソナリティーは云っていた。ならば、夏の終わりに当たって、この夏の思い出として三度目のカキコだけどお出まし願おう。

 

身近な所で見かける夜行性の花、白粉花(おしろいばな)をはじめ、宵待草、夕顔と趣のある名が挙る。しかも花を開くのは夜とあって、意外と身近なところで咲いていても、その花の“らしさ”を観察できるのが困難なのがカラスウリだ。

 

 このような白い花のレース状の模様は受粉のため夜行性の蛾を引き寄せる標識としての役目のためらしい。「花」に対する考え方は人さまざまだろうが一般的には「花」といえば美しさ、華やかさを感じるものだが、このカラスウリと蓮は別格のような気がする。カラスウリは神秘性、蓮は荘厳さを感じる。秋に、縦長の実ができる。実を、烏が好んで食べることから「烏瓜(カラスウリ)」というのが名前の由来らしい。

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先週のビッグニュースのキイワードは「あおり」に尽きるだろう。「あおり運転」については、23日の日記にカキコした。もう一つの「あおり」は韓国文政権の国家としての「あおり運転」だ。日本との軍事情報協定破棄発表が22日にあった。

 

日韓合意で設立された慰安婦問題に関する財団を勝手に解散し、元徴用工問題での韓国最高裁の判決を放置し、輸出管理を厳しくした日本への反発で今般の軍事協定破棄に至っては、まさに「あおり運転」の国家版と言えよう。

 

国際条約を守ることや対外政策を含めて総合的な国益を守ることに責任のある文大統領に何がこのような「あおり運転」をさせただろうか?色々な論評を総合すると、高麗共和国連邦と称する北朝鮮との一体化を目指す文政権の理想を進めることにより、スキャンダル隠しとも行き詰まった経済政策から国民の目を反らそうとしているとも言われている。

 

文政権は国内政治の為に対外政策を政治利用し、対日関係の犠牲だけでなく中国・北朝鮮陣営に利する形にしたのだ。来年の韓国の総選挙に対する戦術かもしれないが、戦略性がまったくないような気がする。高麗共和国連邦が第二の香港・台湾にならなければいいが・・・。その次の中国のターゲットは沖縄だろうから。

 

 

 

 

あおり運転あれこれ

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高校野球が終わった。きょうは「処暑」。秋雨前線が湿った空気にあおられて、梅雨時のような不安定な天気のきのう、きょう。それでも、「秋」の字が顔を出すようになっただけ、気分的にほっとする。

 

人間誰しも、暮らした土地に愛着がわくものだ。高校野球や国会議員選挙ともなると、その地の代表校、その選挙区の議員の戦いの結果が気になるものだ。今年の夏の甲子園は、生まれ故郷多治見の隣町、瑞浪の中京高校がベスト4まで勝ち進み、第二の故郷金沢の星陵高校とサラリーマン人生の卒業地大阪の履正社高校が優勝を争った。今年の夏は目が離せなかった。                         

 

40年以上暮らしている地元愛知の誉高校は1回戦敗退。選手宣誓の当たりくじを引いたのは大きな記念碑だ。星陵はゴジラ松井といい、今年の奥川といい、優勝経験はないが、球史に残るヒーローを生み出す何かがある。

 

きょう8月23日の誕生日の花はナデシコラジオ深夜便。三好丘の丘陵地の野では、早咲きと遅咲きの種類があるためだろうが、晩春から秋の初めにかけて見られる。撫子(なでしこ)科ナデシコ属は300種類くらいあるそうだが、普通に見かけるのはカワラナデシコ。河原に生えるとは限らないがこの名前という。名前の由来は我が子を撫(な)でるように可愛い花であることから。

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 家庭菜園のあちこちで白いニラの花が初秋を感じさせる風に揺れている。蝶や虫が花を求めて飛び回っている。ニラは食用として栽培している人が多い。ウチもそのひとりだ。放っておいても増えてなかなか食べきれない。食用にしなかった分に白い細かい花が咲く。ニラの花だ。8〜10月頃花が咲く。ユリ科

 

ニラの花とよく間違えらるのが花ニラだ。 星型、白か 薄紫色の花。 ちょっとした空地で群生している。 葉っぱをちぎると 名前のとおりニラの においがする。花は春咲く。ネギ科。食用にはならない。毒があるそうだ。

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 常磐自動車道で起きたあおり運転殴打事件の模様を伝える動画を、先週から今週にかけて、いやというほどテレビのニュースで見せつけられた。悪質なあおり運転が社会問題化している。メディアもあおり立てるばかりでなく、ハード面、ソフト面からその抑止策を急がせるような動きをしたらどうかと思う。

 

一番の元は「あおり運転」を罰する規定がないことだ。新たな法律や罰則規定の制定。ドライブレコーダーの標準装備化、後付けの場合自治体からの費用補助などが思い当たる。下世話な話だが、道路の走行車線と追い越し車線の正しい使い分けとエスカレーターの「片側立ち・片側歩行」と「両側立ち」。道路もエスカレーターもルールが確立されていなくて、個人の裁量によるマナーとなっている気がする。あいまいなところが、日本的よさかもしれないが、これだけ社会問題化したら、このあたりにも見直すところがあるのではないだろうか。

 

防犯カメラやドライブレコーダーもプライバシーの侵害だと云われていた時代があり、それが必要悪になり、今では必需品になった。社会問題化すれば、人々の考えも変わって来るものだ。