「鉄たび展」あれこれ


台風が去って、やっと夏空が戻った。猛暑日だ。甲子園の高校野球も始まった。立秋が過ぎて、やっと夏の役者が全部出揃った。おとといの中日夕刊「夕歩道」。「暦の上では今日から秋」と聞いても、困惑するばかり。と正岡子規の句<秋立てば淋し立たねばあつくるし>を引き合いに複雑な心境をつぶやいていた。


先週の金曜にメイちゃんパパさんが彼のブログで今JR高島屋で開かれている「鉄たび展」のことをカキコされていた。きのう名古屋での出帳麻雀の帰りに見てきた。麻雀メンバーに3年前の欧州鉄道旅行のプロデューサー通称電キチFがいるので、閉店30分前に入場したものの鉄道博物館学芸員に勝るとも劣らない解説で、ポイントを押さえた見学ができた。



明治39年、九州鉄道が米国に発注した豪華客車「或る列車」。一度も営業運転されなかったこの客車を、鉄道模型の神様と云われる原信太郎氏が模型で再現し、2015年、JR九州水戸岡鋭治氏のデザインによって蘇らせた。営業運転せずに廃車となったため、鉄道ファンの間では幻の列車の意味で「或る列車」と呼ばれていた。
     


この「鉄たび展」では横浜にある原氏のコレクションを所蔵する「原鉄道模型博物館」にある「或る列車」をはじめとする各国の豪華列車の模型を走らせ、鉄道旅行の歴史と魅力を紹介している。さらに、観光列車王国の九州で活躍する列車の数々を紹介している。



模型の「或る列車」。ここの写真は最後部の展望車だ。Fの説明によると、鉄道模型の始まりの頃はこの大きさだった。モーターが小型化してなかったから。動力の小型化が進み、次第に鉄道模型は二番目の写真にあるような小型のものになった。


しかし、細部まで実物同様に再現し、重量感までも伝わるため、熱心な愛好者の間では「或る列車」と同じ大きさの模型は作られ続けていた。「或る列車」の座席、テーブルなど実に細かい所まで再現されている。


さらに、Fの説明によれば、横浜の原鉄道博物館では架線から電気をとって動かしているが、名古屋の会場では線路から電気をとって動いている。スイッチひとつでどちらでも動くように出来ているそうだ。



JR九州の「或る列車」。同社では「ななつ星in九州」に続く観光列車として「スイーツ」列車の運行を計画していた。2013年に「ななつ星」が運行開始すると、好評で「乗れない」「乗りたい」といった声が多かったので、「或る列車」をモチーフとした列車名「JRKYUSHU SEET TRAIN或る列車」を2015年8月から運行することにした。


2015年7月21日のクマさんの日記では、「或る列車」運行開始に関して以下のような記述だった。「先週その幻の豪華列車である「或る列車」をモデルとした新たな観光列車をJR九州が公開した。外観は金色を基調に唐草模様をあしらい、車内も木材をふんだんに使い落ち着いた雰囲気を出している。2両編成で定員は38名。8月8日から大分〜日田及び佐世保〜長崎の2系統で運行をはじめる。2時間半の道中、軽食とスイーツ4品を提供し料金は1人2万円から。」




キンキラキンのボディーに唐草模様、いくら復刻版といってもちょっとセンスがダサイなぁ〜。趣味が悪い。話のタネに乗ってみる人はいても、果たしてリピーターがいるだろうか?自分がトップだったらゴーサインは出さなかっただろう。JR九州のトップの英断に敬服する。


とかくサラリーマン経営者は「自分の任期中は・・・」と自己保身に走るものだ。その行き着く先が今問題になっている東芝ではないだろうか? 積極果敢と無謀は紙一重だ。JR九州は企業は永遠なりと長期的視野に立って成算ありとの判断でこの「或る列車」を走らせたものだろう。




原信太郎コレクションの中で一番興味を惹いたのは、上のポスターだ。戦前に東京からシベリア経由でパリまで1枚の切符で行けるなんて・・・。それ、ほんとかなぁ? 運賃の精算なんかどうやってしていただろうかなぁ?鉄道省のお墨付きがあるから、確かなものだろう。


ネットで調べた。小説や森光子の舞台で有名になった「放浪記」の作者、林芙美子の「三等旅行記」「下駄で歩いた巴里」という作品が昭和5年に東京からパリまで列車で移動した紀行文だそうだ。下段の写真は日程の部分だけを拡大したもの。それにしても、ここ90年余りの間に船で40日、鉄道で2週間かかっていた日欧間が今では12時間足らずで移動できるようになった。地球も小さくなった。