シクラメンあれこれ


今年も余すところ10日あまりになってしまった。年賀状が、大掃除が、と気が急くばかり年の瀬第四コーナーだ。朝から雲が主役の天気。時折、薄日が漏れたり、小雨がパラついたり。


きのうのラジオ深夜便、12月19日の誕生日の花はシクラメンと云っていた。この花ならウェルカムだ。出窓の片隅でスタンバイだ。ただし、写真は3年前の同じ日に撮ったものの方が”らしい”ので、そちらの方だ。ついでに、布施明の「シクラメンのかほり」の入ったCDもある。


この時季ポインセチアとならんで観賞用として欠かせない花だ。ラジオの伝えるところによると、和名は「豚の饅頭(ブタノマンジュウ)」と「篝火草(カガリビバナ)」の二種類。「豚の饅頭」というのは原産地であるトルコやイスラエルで、野生の豚がシクラメンの球根を食べたことから。豚にとっては饅頭がわり、ということで・・・。「篝火花」は篝火をたいているような 花の形であることかららしい。


病院への見舞いに鉢植えシクラメンを持って行くことは控えた方がよさそうだ。「死」「苦」との語呂合わせ、また花の赤色は血をイメージするなど、縁起が悪い組み合わせとされている(鉢植えは「植え」が「飢え」、「根付く」が転じて「寝付く」となる語呂合わせの為)。



シクラメンのかほり小椋佳 作詩作曲                          

♪ 真綿色した シクラメンほど / 清しいものはない / 出逢いの時の 君のようです / ためらいがちに かけた言葉に / 驚いたように ふりむく君に / 季節が頬をそめて 過ぎて行きました


この歌がヒットした30数年前だと思うが、酒席でシクラメンって香りのある花か?と話題になったことがある。リタイヤーしてからでも、ブログで香りがあったとしても「かほり」でなく「かをり」と表すのが本当でないか。東大法学部出身の小椋佳なんて奴はええ加減なもんだ。などとカキコしていた者もいた。



去年だったと思う。ある作家の「《シクラメンのかほり》の謎とき」と題するエッセーを読んだ。胸のつかえが治まった感じだった。その受け売り。その作家が偶然ネットで小椋佳の奥さんの名前を知った。佳穂里(かほり)さんだった。


なるほど、3番まで歌詞を読んでもシクラメンが香るとはどこにも云っていない。「シクラメンほど清しいものはない」「シクラメンほどまぶしものはない」と云っている。しかも、そのあとに「出逢いのときの君のよう」「恋するときの君のよう」とシクラメンが「君」に見立てられている。


小椋佳にとって妻の佳穂里さんは「シクラメンの君」であったのだ。ならば題名は「シクラメンの佳穂里(かほり)」とすればよかったのだ。香らないシクラメンの謎がこれで解けた。外交交渉も流行歌の歌詞も裏にあるものを読み解いてこそ真の意味が見えてくるのだ。