北朝鮮からの手紙

mikawakinta632007-11-21

多治見の友人から3枚のファクスが届いた。北朝鮮からのハングル文字の手紙を彼の友人が翻訳したものである。
政治的にたとえ大きな問題を抱えていようと、民間人同士ましてや高校の同級生の息子さんからの手紙である。
一気に読んだ。そして繰り返し、繰り返し読んだ。 それほど感銘を受けた手紙であるので日記に書きとめた。




ファクスを送ってくれた友人とはクラスが違っていたが、その彼のクラスにいたM君。小生も面識があったが      会えば挨拶をする程度だった。M君は卒業後、1950年代から始まった在日朝鮮人の帰国事業で両親とともに母国の北朝鮮へ渡った。その後の生活ぶりは想像がつく。そのM君が去る6月24日に亡くなり、その息子さんから彼宛に手紙が届いた。




6月11日にお送りくださった先生方(以下ファクスを送ってくれた彼のこと)の同窓会便りと写真を、6月23日に受け取りました。本当に先輩達のその美しい友情の世界は、我々後輩達がいつも仰ぎ学ばなければならず生活がどんなに苦しいと言っても、どのように生きなければならないかということについて、深く教えていただいております。




臨終を前にして父は、手紙を読んでいる私の声を聞き、最後の力を振り絞り、                    (本当にありがたかった、忘れることのできない私の親友達よ、私は先に逝くけれど、親友達はどうか病むことなく、健康な体で、幾久しく生きてください)というお願いを残し、送っていただいた手紙をしっかり握ったまま、親友達がいるあの天の果てを心うつろに眺め、涙を流しました。




次の6月24日午後3時30分に、父は手紙をしっかり握ったまま息を引き取りました。それほど会いたかった学友達との再会も、先生方と母校の姿も再び見ることもなく、目を閉じられました。
(中略) 私が返事の手紙を送ると言うので、半身麻痺で寝床におられる母は、自分の挨拶も必ず伝えてくれと頼んできました。




私は今回、先生方の手紙をいただき、私の父は生きておられると、我々と一緒にいつもおられると思うようになりました。先生方の手紙は、病の苦しみを勝ち抜かれる母にも、おおきな力となりました。本当にありがとうございました。(中略)父の名前で、全家族の名前で、兄弟達の名前で、先生方に頭を垂れてもう一度感謝お礼を申し上げます。心から、いつも尊敬する先生方にさしあげます。(後略) >





こんなことを感じた。

1.「ならず者国家」呼ばわりされている国でも個々の人民の大半はきれいな心の持ち主だ。

2.韓国では南北を問わず「考」を大切にする儒教、それが家族の絆、友人の絆の強さを作り出している。

3.卒業後やがて50年になるというのに、永住帰国同然のM君に援助物資を送ったりしていた先生のクラスの友情には頭  が下がる。