富めること&貧困

mikawakinta632008-02-16

散歩中、近所のお宅の庭で「二種混合梅の花」をみかけた。白梅と紅梅を接木したのだろう。
人間は美しいから、珍しいからといって自然をいじくりまわしている。自然はきっと喜んでいないだろうに。


自然の摂理をひん曲げてまで美しく見せようとする人間の傲慢さ、富を持たない者は貧困だと決め付けてしまう富める人間の傲慢さ。きのう配信されたメルマガ。何が「富めること」で何が「貧困」かちょっと考えさせられる記事があった。


世界で12億の人が、1日1ドル未満で生活しており、世界の人口の半分が1日2ドル未満で生活しているといわれる。
貧困問題を考える時に見落としてならないことは、貧困は貨幣価値だけでは把握できないと云うことである。
こんな挿話が紹介されている。


旅人が木陰で昼寝している漁師に尋ねた。「なぜ魚を捕まえないか」と。「家族の夕食に、もう2匹捕まえたよ」と漁師。
「もっと長い時間漁をすれば、10匹は捕まえられるのに」という旅人に対し、                   漁師は「2匹しか要らないのに、10匹も捕まえてどうするんだ」と訊く。「売ればいいんだろう。毎日そうすれば舟を買うお金が貯まるよ。」と旅人が言う。


「それでどうするんだ」と漁師。「もっとたくさん、魚を捕まえるのさ。人を雇って、もっと多くの魚を捕れば金持ちになれるよ。」と旅人が答える。「金を持ってどうするんだ。」と訊く漁師に、旅人がこたえる。「楽しい毎日がすごせるさ。楽しく木陰で寝ることができるだろう」「今やっているみたいに?」と漁師は訊いた。


貧困の反対は富でなく、充足、安定した暮らしができること、これが貧しい人が望むものであるということであろう。
富める者はますます富む一方で、貧困はなくならないどころか、増大しつつある。                  貧困問題に対する解決のヒントが漁師の話の中にあるのではないかと思うが、人類にとって非常に重い、大きな課題だ。