いのち無常

どんよりとした天気の一日。久しぶりに家庭菜園へ。どこの畑もエンドウの花が満開で賑やかだ。

3月の終わりには、1箇所か2箇所の畑でちらほらの状態だった。それが、2週間後にはどこもかしこも満開。

 


すべてのものは変化してやまない。一瞬といえども、同じ状態でとまっているものはない。つまり、無常だ。

そういえば、去年の2月辰巳山の谷底を掘り起こし平安時代鎌倉時代の古窯調査した場所は、            

すっかり谷が埋められ宅地造成の真っ最中だ。10月から売出しが始まるそうだ。

先人たちが茶碗を焼いた窯跡も1千2百年後には、一家団欒の場所に。        すべてのものは変化してやまない。

 
昨年2月の発掘調査           宅地造成中の古窯跡


無常だから、エンドウの蕾が花になり、窯跡が団欒の場所になる。そして、無常だから、あすの命の保証は誰にも無い。

今を大切に生きよう。(いささか、相田みつをにかぶれすぎたかな)