これくらいなら

mikawakinta632009-11-19

初冬を感じさせる肌寒い一日。それでも午後からは青空が顔をのぞかせるような日になった。


先日の金沢での会合のボスのエピソード。さすが大正生まれのエライ人のいうことは違うと感心した。宴会が終わり二次会の会場から三次会の会場への移動。小雨だがタクシーを呼ぶほどの距離でもなく歩いて移動。もうすぐ日付が変わると言う深夜の交差点、赤信号だが車は全く通っていない。先頭を歩くボスは小雨の中をじぃっと青に変わるまで待っている。普段こういう場合赤でも渡ってしまう自分を含めた数人の同行者も仕方なく青になるまで待った。


店に入ってボスいわく。「君ら、イライラしたと思う。だが、一つでも例外を認めてしまうと、それがいつのまにか普通になってしまうものだ。信号を守りすぎるのはバカ正直だと云われるかもしれない。こういう場合には渡ってもよかろうと赤信号で渡っている間に基準がどんどん緩くなってしまう。”これくらいなら”という意識がさまざまなコンプライアンス違反の食品偽造事件につながってしまうのだ。よぉ〜く肝に銘じておけ。」


一瞬座がしらけたが、すぐバカ話に話題を転じるあたりはカナメだけは抑える年の功と言ったところだろう。このボスの話、理屈としてはわかる。しかし、こんな非合理的で無意味なことをする必要があるのか?自己責任で判断すればいいのではないか。いまだに、しっくりこない。


<きょうの一枚> 結果よりプロセス 黄葉  11月13日  三好丘

緑色の葉が黄色く染まってゆく。その過程ではこんな状態の時期があるようだ。銀杏のように葉全体が黄色くなったものをひとつのカタマリで見る美しさもある。長さ20cmくらいのこの葉、一枚一枚がいろいろな模様を描きながらやがて葉全体が黄色くなる。黄色くなった結果より、その過程に興味を惹かれる。