ほっこり感


師走も23日。今年もあと幾日と数えらえるまでになった。きのうの22日は二十四節気冬至。きのうの冬至を境に日脚が徐々にではあるがのびる。何となく春が一歩一歩近づいてくる感じだ。一陽来復だ。


寒風の丘陵の稜線をウォーキングして行くと、畑にもうスイセンが咲いている。早咲き系のものとはわかっていても、日脚が縮む方から伸びる方に転じたことと併せて気分がほっとする。そのスイセンの咲いている畑の土手には、真夏の花タカサゴユリがまだ咲いている。隣のタカサゴユリはすっかり越冬態勢に入っているのに・・・。


”もう”と”まだ”が同居して人間社会ならずとも、せわしない生物の世界の師走風景だ。



土曜の日経電子版のコラム欄に師走に因んで”師”、”士”にまつわるエッセーが載っていた。師走の師というのはお坊さんという説もあれば学校の先生という説もある。「師」と呼ばれるのは、知識や経験を積み、人々に語りかけ、導くような職業だろう。医師、教師、牧師、占い師・・・。


「士」は専門的な技能を持ち、誰かの代わりに働く仕事が多い。弁護士、税理士、保育士・・・。とはいえ漢字一文字の違いで中身が決まるわけではない。大事なのは名前でなく、その人が仕事に臨む姿勢だろう。


タクシーの運転手や運転士ではなく、運転師と呼びたくなる人もいる。街中のあらゆる道に精通し、刻々と変わる流れを読み、無駄口をたたかず、滑らかに客を目的地に運ぶ。思わず尊敬の念を抱き、真摯な姿勢に学びたくなる本物のプロは、どんな仕事の世界にいるものだ。ことしは何人の「師」に出会えただろうか。


ざっと、そんな内容だった。これを読んで、現役時代の大半をタクシー業界に身を置いてきた自分には何ともほっこりした気分にさせられた。タクシーの乗務員は、何かあると「雲助」「駕籠かき」呼ばわり社会的評価が芳しくなかった。業界あげて評価の向上に取り組んだ。名古屋の大手で乗務員を「営業係」としたことは画期的なことだった。


規制緩和の劣等生として逆風の吹くタクシー業界だが、その業界の第一線で働く人の中には日本を代表する新聞のコラムで、それなりの評価を受けていることに接すると他人事とは思えない。冬至スイセンに出会ったり、冬至で日脚が伸びる方に転じたことで感じるほっとした気分に相通じるほっこり感だ。