徒然草


氷点下の朝とはならなかったものの真冬並みの冷たい空気の一日。春は名のみの寒い風に震えながらあざぶの丘公園の池までのウォーキング。水辺には春の訪れを告げる「ネコヤナギ」が北風に揺れていた。銀白色の毛で目立つ花穂がこの冷たさの中で一人前に育っている。誰が見てももう猫の尾だ。






高校時代の友人で現在多治見で弁護士として活躍しているM君から先日メールが届いた。タイトルがなんと「良き細工は 少し にぶき刀を 使うふ 。 徒然草 229段」


何のことかとメールを開ける。彼の事務所で若い弁護士を迎え入れることになったからとの挨拶状だった。通り一遍の挨拶状では誰も読まないからとの配慮だったらしい。最後に「私と違って「無双の太刀」となるや、はたまた「なまくら刀」で終わるか?彼の研鑽に期待するところや、大であります。」と結んでいた。


先週号の多治見の週間コミュニティー紙のコラム欄「弁護士日記」でこの「よき細工(大工)は 少し・・・」の件について言及していた。鎌倉時代名工妙観が観音像を彫った小刀は切れ味が少し鈍いものだったということらしい。徒然草の作者兼好法師の云わんとする意味はあまりにも深く深遠である。


ものごと、世の中の道理がわかりすぎるキレ者、兼好法師にとっては少し「鈍い刀」が必要だと云うことで自らをへりくだって述べているのではないか?とM君は紙上で結んでいた。表社会も裏社会も世の道理も分かり過ぎているM君、「私と違って無双の太刀となるや・・・」と自らをへりくだって述べているあたり、兼好法師の心境の域に達したのでは?

                                

それにしても、わずか数行のこの229段、企業のトップがいつもあまりにもキレすぎては下の者が困る。時には才知を隠し鈍刀のふりをすることも必要。などと現代にも通じる含蓄のある短文だ。