食と旅する世界紀行 イタリア

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終末は穏やかに晴れてカラッとした初夏の日が続いた。土曜日の朝のラジオ深夜便、きょうの誕生日の花は「ジャガイモの花」と告げていた。これなら、まかせといてと家庭菜園へでかけてパチリ。


ジャガイモは、虫に頼らず、自分で受粉させて子孫を残すそうだ。花はめしべが長く、その周りをおしべが囲み、花は必ず下向きに咲く。風が吹いて花が揺れると、おしべから花粉が落ち、それがめしべの先に落ちるようになっている。虫に頼れない生育環境の中、ジャガイモも子孫を残すために必死なんだ。



生涯学習講座3回シリーズ「食と旅する世界紀行」の第1回目はイタリア〜みんなに嫌われたトマト料理〜。講師は30年以上にわたって欧・米・日の食文化史やテーブルアート、マナーなどを深く研究しておられる食卓芸術文化史研究家西脇千賀子先生。


授業の最後のハッピータイムはエスプレッソに2枚の写真にあるようなイタリア茶菓子。上の写真、箸のように見えるのはクラッカーのような食感のスティック状のパン”グリッシーニ”。せんべいみたいなのは融かしたチーズをかけたチップ、”ナチョチップ”。ふたつの器はトッピング用のパスタソースとサルサ(メキシコのソース)。もう1枚の写真は生クリーム、牛乳と砂糖を合わせて火にかけて混ぜ、ゼラチンで固めたイタリア発祥の洋菓子、”パンナコッタ”



きょうの日記の冒頭、17日の誕生日の花で取り上げたジャガイモの花はナス科ナス属だ。きょうの講座のテーマのトマトもナス科ナス属だ。これも、何かの縁か?


ケチャップ、トマトソース、ピザソースなどに世界中で用いられてその年間消費量は野菜の中でダントツ1位のトマト。その生い立ちから今に至るまでには嫌われ続けて来た歴史があったようだ。


●トマトはメキシコからペルーにかけたアンデス生まれで、大航海時代の16世紀の初めにスペインが欧州にもたらした。しかし、毒がある植物に似ているし、赤い実であることから「狼の赤い桃」として嫌われ貴族の鑑賞用植物としてしか存在感がなかった。庶民も空腹を満たすような食物ではないから食料として利用しなかった。


●18世紀のナポリを中心とした南イタリアはスペインの統治下にあり治安は悪く人心は荒廃していた。貧しさの中から庶民の中にパスタやピザが生まれ、トマトが一般的に食べられるようになった。アンデスから欧州にトマトがもたらされて200年後のことだった。


●19世紀には貧しい南イタリアから400万人が米国に移民して食文化に大きな影響を与えた。さらに第2次世界大戦の欧州戦線に派遣された米兵も欧州の食文化を米国にもたらした。


たかがトマト、されどトマト。たった2時間の授業では語り尽くせぬ奥深さがある。