終戦記念日


午後からは予報が外れて晴れ上がった。おかげで、日焼けでひりひりする。ファミリー11人集合して、西尾・東幡豆の日産マリーナからレンタルした12人乗りのクルーザーで日間賀島に向かった。操縦するのは免許を持っている三女の婿。30分も沖に出ると波が高くなり大事を取って断念。


近くの猿島(何年か前までは猿の放し飼いをしていて、幡豆から隣のうさぎ島と併せて遊覧船が出ていた)は船着き場の施設が残っているので急きょ行き先変更。人っ子ひとりいない。砂浜もあり、わがファミリー11人だけの文字通りプライベートビーチで孫たちは大喜び。心癒される一日だった。



きょう8月15日は終戦記念日終戦の年自分は4歳だった。戦争を語り継ぐことができる最後の世代だろう。


故郷多治見は何の軍事施設もないのに終戦も間近い昭和20年7月15日列車が艦載機の機銃掃射を受け、多数の死傷者が出た。家が駅のすぐ近くだから、この空襲は憶えている。艦載機が低空で飛んできてバリバリとやる。押入れの布団の中に潜り込まされた。


3〜4年前から多治見では「多治見空襲を語り継ぐ会」が開かれているようだ。中学校の総合学習では戦争と平和について考える時間に、そのときの列車の乗客だった人が語り部になって勉強をしているそうだ。


8月15日が来るたびに、こんなバカな戦争は二度と起こしてはイカンということを語り継げる最後の世代として娘夫婦たちに語りかけてもなかなか真剣に聞いてくれない。「日本って、アメリカと戦争したの?」といわなだけでもまだマシだ。