朝日「誤報」謝罪会見


からっとした秋晴れ。久しぶりだ。草花に朝露が宿る頃と云われる二十四節気の「白露」が過ぎて4日目の朝、路傍の草花にはびっしりと朝露。朝日にきらきらと輝いている。屋外に置いてある車には雨が降ったかと思われるほど露を浴びている。けさはちょっと冷え込んだのだ。ウォーキングも長袖を着込んで出かけた。


通りかかりの四つ池でも舟ヶ峪池でも「けあらし」が見られた。この地に越してきて20年になるが初めて見る。どういう現象かネット検索。暖かい水面の上に冷たい空気が流れ込んでくると、水面から蒸発した水蒸気が冷やされて湯気のような霧が発生する現象のことで「蒸発霧」という。通称「けあらし」「川霧」「湖沼霧」とのことだ。秋から冬かけて発生する。とのことだ。



ようやく朝日が昇ってきた。黙々と駆け抜けて行くマラソンランナーの足音くらいしか聞こえない静寂の中ですぅ〜と水面を西から東に流れてゆく霧。実に神秘的だ。日が高くならないと花を開かない睡蓮は読んで字の如くまだ睡眠中だ。霧も睡蓮を起こしてはと気を遣っているようだ。


やがて日が昇り、流れる霧の中に木漏れ日が一条の光を差し込んで来た。ウチから目と鼻の先のところでこんな光景の中に身を置いて時間の経つのも忘れることができる。みよしはホンによいとこだ。


写真はあるがままを写すだけ。こんな光景を詩歌にしたり、音楽や絵画で表現できないのが悔しくてたまらない。悔しかったら今から勉強すればどうだ? 今更勉強なんかできるかっ! こんな光景の中に身を置いてぼぉ〜としているのも凡人のひとつのパフォーマンスだと思おう。



朝日新聞の「吉田調書」スクープ報道の誤報謝罪会見がきょうの各メディアで大きく取り扱われている。それにしても、朝日は従軍慰安婦報道の「吉田証言」誤報と併せよくもまぁ誤報をやってくれる。あまり、関心のない人にしてみれば「吉田調書」も「吉田証言」も”みそくそ”になっているじゃないかなぁ。


今回の会見は云われているように「遅きに失した」感がある。ただ、自身の主張に合うように事実をねじまげて大衆に下げ渡していた大メディアのおごりに鉄槌(てっつい)が下されたということにはまちがいない。


メディアの記者は自分の会社の社長とは話をしたことがなくても、大企業の社長や国会議員と取材活動を通じて堂々と話ができる。記者すべてとは云わないが、若い時からそのような経験を積んでくると”下”には目もくれず”驕り”が醸成されてくる。

このようなことは、組織にも相通じるところがあり朝日というエリート集団の自負心がどこかで”驕り”にひん曲がってしまったのではないだろうか。