昭和天皇


きのうまでの日照りもやや収まり、薄曇りながらも吹き渡る風が清々しい、穏やかな本格的な大型連休の始まりの休日だ。家の前を行き交う車もほとんどなく、企業城下町は半ばゴーストタウン化したかの様相だ。


4月も残すところ、きょうあすだけ。あさってからは5月だ。ウォーキング中に目に留まる景色が深まり行く春から初夏への移ろいを感じさせる。この時期に咲く花はフジだ。雑木林に咲くヤマフジだ。長い花房に薄紫の花を次々に咲かせる。優雅で清らかな感じだ。


田園地帯では、田んぼに水が張られ田植の準備中だ。竹藪の片隅では筍が延び放題。誰かが採って行けば、追従者がでるだろうが、みなさん遠慮がちのようだ。それとも、採ってもアク抜きやら、茹でたりすることが面倒だからか・・・。


庭に目を転ずれば、クレマチスがもう咲いた。紫陽花とならんで雨に似合う花だと思っていたが、もう咲いている。他所さんには色鮮やかな洋風のクレマチスが多いが、ウチは昔人間で和風のものだけだ。



きょうは何の日か、即答できる人が10人中5人いるだろうか? 我々の年代だとおそらく「元、天皇誕生日」とくらいしか答えられないだろう。そういう自分も「元・・・・」派でネット検索。昭和天皇のお亡くなりになられたのち、平成元年から「みどりの日」で平成19年からは「昭和の日」だそうだ。


昭和天皇もご存命であれば今年114歳になられるとか。オヤジがいつも天皇陛下と同い年だと自慢していたのを子供心にかすかに憶えている。オヤジも生きていたら114歳か。”昭和どころか明治ははるか彼方遠くになりにけり”



昭和天皇といえば、戦後占領軍の総司令官マッカーサーに対して戦争の全責任は自分にある。自分はどう処分されても構わないからから国民の衣食住を考えてやって欲しいと直談判されたエピソードは死を伴うほどの責任を引き受け、国民を思いやられるる態度としてあまりにも有名だ。


自分は昭和天皇が戦後日本各地を巡幸され復興に励む人々と親しく言葉を交わされたことに心を打たれた。普通、世界の国では、戦争に負けてしまえば敗戦国の王は、殺されるか、国外追放されるのが一般的だ。それなのに日本の天皇は、戦後たいしたお供も付けずに無防備なまま各地を巡幸されている。その覚悟たるや尋常ではなかったと思う。