防災の日に思う


いつまで続く”ぐずつき天気”。きょうもまた雨模様。この重苦しい空気を”なんとかヤブラン”との気持ちから庭のウッドデッキの下の雑草の中からヤブランが顔を出した。ヤブランのまわりだけは爽やかな雰囲気だ。


世の中見回しても至る所で閉塞感が充満している。ヤブランの咲く時節になって政治の世界も、闇の世界も東西対立が顕在化。これを打ち破らんと不穏な空気だ。


きょう9月1日は関東大震災の記念日であり防災の日だ。92年前20万人もの死傷者の出た震災も歴史上の出来事になってしまった感がある。がその教訓を生かした防災の日は年々国民的イベントとなって定着したことはけっこうなことだ。 オシロイバナが9月1日の誕生日の花とラジオ深夜便は伝えていた。先月に引き続き再登場させた。




毎年1月17日の阪神淡路、3月11日の東日本の各震災記念日と9月1日の防災の日が来るたびに防災グッズを取りそろえ袋の中に入れて置くことを思い立つが未だにそれが出来てない。2Lのペットボトル1箱だけが物置に入れてある。何年何月何日にそれを使うとわかっていれば、それに間に合うように用意するが、いつ使うかわからないだけになかなかその気にならない。ということだろう。


使うために用意するというより、まさかのときのために用意する。使うことがなければ、そんないいことはないのだ。そう考えると、防災グッズを用意するということは安保法制を成立させることと同じことだと云える。まさかのときのために法を整備しておく。その法に則って武力を行使するようなことがなければ、そんないいことはないのだ。



それを思うと、きのうの中日新聞の朝刊の安保法制反対デモの記事の扱いはどうだ!1〜3面と28、29面は全部安保法制反対一色。国会周辺に集まったのは主催者発表の12万人をそのまま使っている。あの朝日でさえ、12万人、警察推定3万3千人としている。菅官房長官や谷垣幹事長の談話も併記している。中日、ちょっとクレイジィじゃないか。