震災5年目に思う


冷たい風ながら日差しに温もりが感じられる春浅い一日。早朝のラジオから復興ソング「花は咲く」が流れる。5年前のきょう3月11日のクマさんの日記はこうだった。「照ったり曇ったり、時折にわか雨、早朝にはうっすらと春の雪。目まぐるしく変わる天気の挙句の果ては地震がぐらり。国内観測史上最大の地震とテレビが伝えていた。こんな長い時間揺れた地震は初体験だ。東北地方では大災害のようだ。


きょう列島に観測史上最大の激震が走ったが菅内閣では日替わりメニューのように連日屋台骨を揺るがすような激震が起きている。ときあたかもこの3月11日に菅首相在日韓国人から献金を受けていたことが発覚し列島を走った地震菅内閣に止めを刺したことになるかもしれない。」



きょうはテレビもラジオも新聞も震災5年の特集ばかりだ。地震津波原発事故による大災害で2万人を超す人命が奪われたり、行方不明のままだから当然のことだろう。クマさんも日本国民。国賊呼ばわりもされたくない。追悼の意味で5年前のきょうの日記を紐解いてみた。菅さんていう首相がいたなぁ。


当時の日記を読み返す。震災後1週間は連日震災に関するカキコだった。この国難に自分は何ができるか?真剣に考えた。4月20日から10日間の中欧旅行キャンセルするかとか・・・。そんな時に「電気が足りない関東・東北地方に私たちが節電して融通しよう」なんて関西からのチェーンメール。メールの転送だけでなくブログにカキコすれば自分のできる大きな貢献だ。と喜んだのも束の間、いたずらメールだとブログのコメントで知らされた。そんなこともあった。




震災と菅首相、同じ5年前の出来事と人物。震災に対する5年という距離感と菅さんに対するそれとは随分違って感じられる。菅さんは過去の人だからはるか彼方の遠い過去の人という距離感だ。震災からの5年は復興がまだ道半ばであるだけに菅さんの存在よりずっとずっと身近に感じる5年という距離感だ。


この国難に自分は何ができるか? 復興特別所得税が年金から引かれて貢献しているのだ。天引きだから痛税感が、つまり距離感がない。これを、各自現金で納めるとなると痛税感、距離感が出ると思う。収税効率の問題はあるが。


距離感といえば、文化庁を四国に移転させることが話題になっているが、それより何より復興庁をどうして東北に持って行かないだろう?被災地と復興庁の距離感を縮めることが復興の近道でないだろうか。