国際社会の現実と相撲道


「もう、梅雨明けかねぇ?」早朝のウォーキングで行き交う人と交わす会話だ。ハッピーマンデー「海の日」にもってこいの抜けるような青空の三連休最終日だ。この青空は”うそ”をつかなかった。昼のニュースで梅雨明け宣言だ。今週の金曜22日は暦の上ではもう「大暑」。最も暑い頃だが、実際の暑さのピークはもう少し後だろう。


なんにしたって、ウォーキング中に五感で感じる万物は夏一色だ。夜明け前からハスやムクゲは花開き、セミが涼を求めてだろうか、ウチの2階の雨戸の戸袋で一生懸命鳴いている。路傍の草むらではヘクソカズラがその名前に反して可憐な姿で群生をはじめ、オシロバナも勢いが出てきた。とうとう、夏がきた。



2週間前の4日月曜に「どうしたもんじゃろのぉ、この世界」のタイトルでクマさんの日記をカキコした。「ダッカでバクダッドでまたもやテロだ。週の初めから暗いニュースだ。フロリダの銃乱射から引き続き、イスタンブールダッカ、バクダッドでのテロ。ダッカでは邦人が7人も犠牲になった。・・・・」で始まる内容だった。


先週は、またまたフランスのニースでテロ。トルコではクーデター未遂。法を無視した中国の国際社会での傍若無人ぶり。米国での人種間の殺人ごっこ。「こりゃ、どうしたもんじゃろぉ」「第3次世界大戦だ」。



常識が、法が通用しないのが国際政治・社会の現実だということを、まざまざと見せつけられている昨今だ。いま、大相撲名古屋場所が開催中だ。ふと、「相撲道」が頭をよぎった。礼にはじまり、礼で終わるこの道。貴乃花がなんかの雑誌のエッセイで書いていた。


相撲の本質とは力の競い合いでなく、その時の力と技の優劣を競い合うことである。その際の立合いで行司がかける「見合って、見合って」というのは、日本語で「見合う」というのは「ほめる」という意味があり、互いに尊敬しあって真剣勝負に臨めと鼓舞する言葉だそうだ。



勝負がついたら敗者が礼をして土俵をおりる。つまり、「礼に始まり、礼で終わる」のだ。人類みな相撲取りだったら、テロもクーデターも人種差別も起こらない。そんな野暮なことは云うつもりはない。こんなにも、どろどろとした国際社会だけに相撲道の清々しさが一層際立ってみえる。