二百十日に思う


「まるで、秋の天気だねェ」ウォーキングのメンバーが今朝、集合場所で交わす第一声だ。観測史上初めての東北地方上陸の台風10号日本海に消え去って、文字通り台風一過の爽やかな晴天になった。台風が岩手県から日本海に向かって上空を通過したのに「上陸」とは、これ如何に? 大地に被害という爪痕を残したのがその証拠か?ノー天気なわれわれは、こんなことを云っておられて幸せだ。



きのう8月30日誕生日の花がキツネノカミソリだと、きのうのラジオ深夜便で云っていた。3年前稲武から茶臼山に行く途中にある大栗山に写真を撮りに行った。ここはオオキツネノカミソリの自生地でキツネノカミソリより花が大きい。林間の日陰に生えるヒガンバナ科の花。8月下旬に開花。花のあとで葉が伸びてくる。葉の形が、剃刀に似ていることから、山の中で「狐」が使う「剃刀」との連想でこの名前になった。



きょう8月31日は二百十日立春から数えて210日目の日で、毎年9月1日頃にあたる。今年はうるう年の関係で1日早いのだ。農作物に大きなな影響を与える台風に見舞われることも多い時期なので農家にとっては油断のならないこの日を厄日として戒めるようになった。また、漁師にとっても出漁できるかどうかとともに、生死に関わる問題でもあった。


今のように台風の予測ができなかった時代、人々はこの日を恐れて警戒し、風を鎮める祭りを行って収穫の無事を祈るようになった。毎年9月1日に行われる越中八尾の「風の盆」もこの流れを汲む行事。けさのラジオでこんなことを説明していた。金沢時代に行ったことがあるが、古い街並みに哀愁をおびた胡弓の音色が響き、「越中おわら節」にのせて、編み笠をかぶった男女が踊り歩く風情は忘れがたい。



気象データからいえば二百十日より10日後の二百二十日の方が台風のやってくる可能性は高いと思う。いずれにせよ、二百十日と二百二十日は江戸時代の農民・漁民にとっての防災の日だったのだ。今を生きる我々の防災の日はあす9月1日だ。大正12年9月1日の関東大震災にちなんだ記念日が二百十日も絡めて防災の日になったのだろう。


関東大震災はこの東海地方でも相当揺れたそうで、おふくろからそのこわさをよく聞かされた。いろいろと細かい事までよく憶えていた。先日家系図を作っていて調べていたら、我が両親の結婚した年が大正12年だった。結婚した年に起きた大地震だからことのほかよく憶えていたのだろう。