品性の問題


きのう同様午前中は曇りがちだったが、午後からは穏やかな秋晴れ。このところ路傍の草むらにコスモスやホシアサガオが目立ち、深まり行く秋をいやが上にも感じさせる時節になってきた。


先日、酒席でこんな話が話題になった。スーパー銭湯の湯船で読書をしている輩がいる。注意書きに浴場内での読書はを禁止していないから、これは常識の範囲内か、それとも非常識か?


70年以上の人生経験を持つ者の意見の落ち着くところは非常識だ。



つまり、常識とは習慣・風習で成り立つので、銭湯のルール内などと云っても大多数の人からみれば公衆の浴場内で読書をすることは「おかしなこと」すなわち、非常識だ。


常識か非常識かといえば非常識だけれども、問題があるか、ないかということになると少数意見だが、他人様に迷惑をかけなければ問題ないという意見もあった。非常識だけれども問題ない。それはその人の品性の問題だろう。世間の”ひんしゅくを買う”を当人がどう思うかということだろう。


米大統領選まであと1ヶ月を切った。両候補のテレビ討論をするたびにトランプ候補の支持率が落ちている。来週には3回目のガチンコ対決がある。「女性についての更衣室の会話」が足を引っ張ったようだ。トランプ候補の言動はスーパー銭湯での読書に対する少数意見の論理展開と同じに思えてくる。



「大統領候補者の女性蔑視発言」は「ふさわしくない」すなわち非常識だ。しかし、彼の品性からすれば、女性に対してそれなりの金品を与えているから、何が問題があるのかということになる。しかし、その情報が世界中を駆け巡り、釈明につとめても時すでに遅く、ヒラリー候補との差が開くばかりだ。


品性がその人の常識を形成し、その常識のために法律があると云えよう。