震災日記(前篇)


晴れたり曇ったりの上冷たい風。おまけに、時折冷たいものも落ちてくる。春まだ遠しの感だ。6年前の東日本大震災の日も朝方、うっすらと雪が積もっていた。あれから、もう6年になる。メディアもここ2.3日は、震災関連のヒュマンドラマを取り上げないと、社会正義に反するとばかりに目白押しになることだろう。クマさんも自身の日記で当時を振り返ってみた。2011年3月11日から1週間各日のダイジェストだ。(3/11〜3/14の前半をきょう、3/15〜3/17の後半をあす掲載)

3月11日
早朝にはうっすらと春の雪。目まぐるしく変わる天気の挙句の果ては地震がぐらり。国内観測史上最大の地震とテレビが伝えていた。こんな長い時間揺れた地震は初体験だ。東北地方では大災害のようだ。


きょう列島に観測史上最大の激震が走ったが菅内閣では日替わりメニューのように連日屋台骨を揺るがすような激震が起きている。ときあたかもこの3月11日に菅首相在日韓国人から献金を受けていたことが発覚し列島を走った地震菅内閣に止めを刺したことになるかもしれない。


3月12日

大変な震災となった。三陸沖を震源とする地震マグニチュード8.8と国内観測史上最大となった。災害を特に大きくしたのは大津波だった。テレビに映し出される、川を遡った津波が田畑を呑み込み家や車を押し流す惨状を見るにつけ祈ることしかできないわが身がもどかしい。


米国では11日(金)は終日、ニュース各局は共に「ぶち抜き」で震災報道を続けているそうだ。正に「911以来の報道体制」らしい。とニュージャージー州在住の日本人学者がメルマガに寄稿していた。当事国日本のきょうの朝刊テレビ版で見ると白い空きスペースだらけ。どのチャンネルをまわしても震災ニュースばかり。ことの重大さを思い知らされる。


3月13日

まるで戒厳令が出されたような重苦しい日曜だ。テレビ・ラジオは震災関連ニュースばかり。名古屋国際女子マラソンプロ野球オープン戦は中止。東京ディズニーランドは休園。

(前文略)日常生活をいったん断ち切り、まずは国を挙げての救援活動ということだろう。国難を乗り切るため、自分は何ができるだろうか? けさ、そんな自問をしていると、カミさんが自分の携帯に送られてきたメールをみせて、「これだよ」。カミさんの所属するサークルのリーダーから送られてきたものだった。


関西電力で働いている知り合いから、本日18時以降関東の備蓄電力が底をつき関西電力中部電力から応援の送電をもらっているそうです。ひとりが少しの節電をするだけで関東の方を救うことができます。こんなことくらいしか関西に住む者には、祈ること以外の行動としてできないのです。このメールをできるだけ多くの方に転送してください。


自分のできることとして、この日記とガキ仲間のブログに投稿することをまずはした。祈ること以外にできることはあったのだ。※(後日、いたずらチェーンメールということがわかった。大失態!)


3月14日

※ 前半はチェーンメールの失態に対する反省の弁

電力の備蓄が底をつく東京電力、その対応策として計画停電を始めた。日曜の夜に記者会見して月曜の朝6時半から始めるなんて東京電力の姿勢は丁寧さに欠け乱暴に感じられる。原油が値上がりすればいとも簡単に電力料金の値上げを一方的にする経営体質がそのまま反映されているようだ。鉄道や道路の利用者は勿論だが、鉄道会社や警察官までもが東京電力のドタバタに振り回されている。

(3/15〜3/17分はあす掲載)