大臣の「がん発言」に思う


雨上がりの朝、曇った空の下グラウンドゴルフに興じるグランドに吹き渡る北風は、とても桜も散った直後の季節のものとは思えない。春先と同じ風だ。それでも、午後からはぬくもりを感じさせる日差しが出てきた。
          

そんな季節感におかまいもなく、暦は進む。きょう4月27日の誕生日の花はフジとラジオ深夜便は伝える。タイミングよく2.3日前からウォーキングコースにある農家の庭で咲き始めた。長い花房に薄紫の花は優雅にして清らかな花だ。



ウチの垣根の端のオオテマリも咲き始めた。今は、青いがやがて白くなって行く。一見すると紫陽花に似ている。花壇の端の寄せ植えの鉢もにぎやかになってきた。暦の上ではあと10日で春も終わり「立夏」が来る。移り行く自然の動きも忙しくなってきた。


われらが麻雀荘のオーナーHさんは4年ほど前に夫婦ともどもほとんど機を同じくして胃がんの手術で胃の三分の二を切除している。Hさんは今ではゴルフも酒も手術前と同じようにやっている。奥様も同様元気そのものだ。この夫婦、先般の地方創生相の「学芸員は観光資源のがん」発言を聞いて、きっと違和感を持ったと思う。



大臣発言はふたつの面で波紋を呼んでいると思う。一つ目の学芸員の役割をめぐる見解だが、これは当の学芸員の方々を交え、大いに議論すればいい。気になるのは、二つ目の「がん」という例えだ。「比ゆ的に、組織などで、取り除きがたい難点」として使うことがよくある。「〇〇はこのチームのがん」というように。


40数年前、おふくろをがんで亡くした頃には、がんにかかると遠からず死が待っている。うまく切除出来れば縁を断てる。と云われていた。今の理解は違う。がん細胞は普通の人でも日々生まれている。医療の進歩で長く病と共存する人が増えた。




Hさんにしてみれば、手術を機にたばこをピタリとやめ、平静にこの病と向き合っているというのに、忌むべきものの例えに使ったりしてもらっては、大変迷惑な話ではなかろうか。日本人の2人に1人ががんにかかると云われている時代だ。闘病を美談に描いたり、忌むべきものの比喩に用いて遠ざけたりでは、がん患者と社会との間に壁をつくることになる。