「山の日」あれこれ


朝から今にも降り出しそうなどんよりとした空に、湿気をたくさん含んだ重い空気。こんな日には、どうしても庭や畑の草との闘いに挑む気にはなれない。日照りはあっても風のある日の方がましだ。8月も10日が過ぎると野山に限らず街中にも高砂ユリが目立ち始めた。写真は四つ池周囲の桜並木で見かけたものだ。


きょう8月10日は「山の日」だ。有給休暇もまともに消化できない状況の中でなんでまたこんな祝日をつくったのだろう。ひとくちで云えば「そこに山があるからだ」になる。これではあまりにも身も蓋もない話。思いつくままに推測してみた。



7月の第3月曜が自然に親しむ祝日を目的に「海の日」ができているところから、海に対して山と来るのが自然の成り行きだろう。「夏山シーズン」といわれるのが8月上旬であること、その時期はお盆近くで企業活動にも比較的影響が少ないことから8月10日から13日までの間に選ばれた。12日は史上最大の航空機墜落事故JALの御巣鷹山事故の日だから避けただろう。


「海の日」制定に熱心な業界団体だけに肩入れすれば「山の日」関連の業界団体は黙っていない。妥協の副産物という政治的決着方法のひとつではないだろうか。きょうの「山の日」は。



若い頃読んだ記憶だが、エベレスト登山中に亡くなった英国の登山家マロリーが「なぜ、エベレストに登りたいのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから」と答えたという逸話は有名であるが、日本では「そこに山があるから」が通説になっている。


そんなことは、どちらでもいいことだが、知人・友人に「百名山挑戦」とかいって山に情熱を傾けている者がけっこういる。ジャンプロさんもそのひとりだ。人間だれしも、その達成感に惹かれて未知のものへの征服意欲は持っているものだ。ただ、その情熱の温度差で百名山挑戦派になったり、ハイキング派になったりすると思う。クマさんは後者だ。


それでも、子供のころから「山」に関する思い出は色々とある。標高3千mを超す山に行ったのは小学校5年生。乗鞍畳平までは登山バス。そこから歩いて山頂剣ヶ峰まで2時間以上かかった記憶だ。中学3年。東京・日光修学旅行で羽田空港見学に。ネパールのマナスル峰を世界初登頂した槇有恒隊長率いる登山隊が凱旋帰国するのに遭遇し、8千m級のマナスル峰の存在を初めて知った。卒業文集のタイトルが「マナスル」だった。



後にも先にも1度だけの北アルプス。高校2年だった。上高地から入って西穂高山荘で泊まった。写真があるから間違いない。そこから穂高連峰のどこへ行ったのか記憶がない。自分を含め一行5人。3人は他界。ひとりは消息不明。自分だけ長生きすると尋ねる人もいなくなる。記録を残すことは大切だ。


大学生、社会人になってからは行動範囲が広くなったが自らの足で征服するような情熱もなくなった。眺めるだけで満足するようになった。もう一度行ってみたい、眺めたい場所は、カナディアンロッキー、スイス・アルプス、ハワイ島マウナケア。天候不安定で、野良仕事もできない、きょうの「山の日」。日がな、山に思いを巡らせる、クマさんにとっては好天気だった。