電車の落書きと公徳心


青空が広がったが厳しい寒さ。名古屋の最低気温が氷点下3度とか。あまりの冷え込みと、2週間ほど一度も車を動かしてなかったことが手伝って、車のバッテリーがあがってしまってエンジンがかからない。カミさんの車を借りてことなきをえたが、「まさかの坂」決して侮ることなかれだ。


12月の初め、小さな新聞記事が目についた。名古屋地下鉄の日進の車両基地で、鶴舞線の車両の側面のカラースプレーによる落書きが見つかり被害届を出したということだった。先週の名古屋での飲み会。4年前欧州鉄道旅行に一緒したひとりとこの話から公徳心や道徳教育に及んだ。



欧州では至る所、とりわけドイツとイタリアのローカル列車の落書きは目に余るものだった。ドイツなどではドローン飛ばして落書き現場を押さえる対策をしているという。こうしてみると、鶴舞線の落書きが新聞記事になるくらいだから日本人の公徳心は世界に誇れるだろう。


これは、単一民族の島国でよそ者が入り込まない。公徳心などを培うのは比較的容易でないか。欧州は日本と逆で移民が多い。国が地続きで文化の伝播が早い。国に愛着心のない若者の間では、落書きのようなことは、容易に国境を越えて伝播するということだろう。



ところが、イタリアやドイツの西欧と北欧では、どうも状況が違う。北欧も移民が多く、どの国も問題を抱えている。
ノルウェーオスロでは移民けん制のために公衆トイレの利用料をいっきに3倍値上げしたとか、欧州鉄道旅行の際、デンマークコペンハーゲンでカメラを盗まれたとか、スェーデンのストックホルムでは移民のタクシー運転手にボラれたとか・・・。身をもって体験した。


それにもかかわらず、北欧では電車の落書きがほとんど見当たらない。西欧と北欧にはクマさんでは説明のつかない壁がある。日本人は人を殺すな、他人の物を盗むな、といったような古今東西において共通する道徳、つまり社会秩序の鉄則である公徳心は世界に誇れると思う。しかし、自分が判断して実行する道徳心は不得手というか訓練不足ではないだろうか? 例えば、火事のとき文化財級の仏像をまず救うか、病気で呑み助で鼻つまみ者の男をまず救うか?                                                       


正解のない生き方を学ぶ訓練や偉人の伝記を読んだりすることが本当の意味の道徳教育ではないだろうか。道徳教育は一定の価値観の押しつけと批判する勢力があるが決してそんなことにはならないと思うが・・・。鶴舞線の落書き電車のちっぽけな記事が、「風が吹けばおけ屋が儲かる」式に、道徳教育まで延びてしまった。