指揮官の資質


きのうの快適な陽気から一転、春の嵐を予感させるような強い風と時折降る雨。うっとおしいことだ。新聞、テレビの報道に接すると、なおうっとおしい。というか、うんざりするばかりだ。昨年から国会で追及されている森友疑惑と防衛省の日報隠しで嘘が相次いで露見し、ここに至って一旦なりを潜めていた加計問題が頭をもたげてきた。


これでまた国会が空転し、審議の中身がその追及ばかりになるかと思うとむなしい。こんな折、「ない」といわれたイラク日報を探す時の防衛大臣から幹部、現場への指示命令のあいまいさが指摘されていた。厚労省では働き方改革の法案の労働時間データがずさんで、一旦提案したものを引込めざるを得なくなった。指揮官の指示命令の出し方の問題だろう。


一方サッカー界では2ヶ月先にW杯ロシア大会を控えた矢先の日本代表監督ハリルホジッチの電撃的解任だ。指揮官としての資質の問題だろう。指揮官の強さ、弱さが組織の優劣を分ける。だとすれば、指揮官が強くなることはその責務の第一条件だ。この論から云ったら前述の指揮官たちがたるんでいるからその組織のタガが緩みっぱなしだと云えよう。



ここまでカキコしてくると現役時代の頃が思い出される。「一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群れに勝つ」こんな西洋の諺や「八甲田死の彷徨」の小説が蘇ってくる。


新田次郎により「八甲田死の彷徨」として小説化された明治の末期に起きた陸軍の八甲田雪中行軍遭難事件を題材に企業の組織論を上司から事あるごとに聞かされてうんざりするほどだったこと。そして、自分がその立場になったらちゃっかりそのネタを拝借してあちこちで話をしたことなど、いろいろと思い出される。



確かに、八甲田山における歴史的な惨劇は、多くのことを我々に教えている。同じ時期に八甲田山麗に分け入った青森隊と弘前隊の2つの行軍隊は、一方は199人の死者を出しほぼ全滅、一方は犠牲者なしで見事に完遂という極端な結果となった。この結果を比較することで、組織が業務を遂行する上での重要な点が分かる。


弘前隊は、命令系統をひとつにし、やる気のある志願者のみを集め、事前に情報収集や食事の手配・訓練などの準備をきちんと行い、本番に望んでいる。これに対し、青森隊は準備期間が短く、大所帯で、命令系統が最後まで統一できなかったため隊員の意思統一ができず、任務が遂行できなかった。


そもそも、何のための訓練だったか?この事件の2年後に日露戦争が始まった。事件の起きた当時、ロシア艦隊が海上から攻めて来ることを想定していた。後背地の八甲田山麓を確保するための訓練だった。日露戦争で本土が主戦場になることはなかったが、この経験は満州という酷寒地での戦いに役立つことになったと云われている。八甲田山こそ近代日本の「雪との闘い」の原点であり、自分が人前で話をすることの原点でもあったと云っても過言でない。