終活


この連休中、珍しく子や孫の来訪がなかった。孫が二人とも中三ともなると、いろいろ事情があるようだ。三人の娘が三人とも長男のところに嫁ぎいずれも新居を構えている。来月には喜寿を迎える歳ともなると、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」ではじまるウルマンの詩が、何となくそらぞらしく聞こえるようになってきた。


連休に入る前の週だったと思うが、中日新聞の家庭欄に「つい先延ばし 生前・老前整理」と題して高齢になるにつれ、やろうと思ってもなかなかできないのが身の回りの整理、生前整理や断捨離だ。うかうかしていると、一人暮らしの人の遺品は一戸建て住宅で約5トン。親族が毎日30キロずつ片づけても、3ヶ月から半年かかるという。



ある調査会社が60〜70代の男女千人に行ったアンケートでは「終活」を既に行っているか、行おうと思っている人はおよそ4人に3人。中でも生前整理への関心は高かった。しかし、「既に行っている」は、そのうちの1割余りにとどまり、「これから」が大多数だった。


こんな情報に接すると、子どもたちに遺品整理やら家の処分までやらせるわけにはいかない。70歳になったら始めようと思っていた「終活」もいつのまにやら通り過ぎ、75歳になったらとギヤーの入れ直し。とうとう、喜寿が目前。歳ばかりを気にしているクマさんに、もう一人のクマさんがさかんにウルマンの詩「青春」の一節をささやいている。そして、情熱を焚きつけている。




《青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。》