ワンチームと君が代

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2週間の入院から帰宅すると、庭の風景が彩鮮やかになっていた。ちらほら咲きだった垣根の山茶花が押し合いへし合い状態に咲き乱れていた。薄黄色だった八朔の実も濃い黄色に熟して来た。植木鉢には、“冬の彼岸花”とでも言おうか、ネリネが初冬の陽をいっぱい浴びて元気に咲いていた。

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12月13日の誕生日の花がヤツデとラジオ深夜便。「天狗のうちわ」と別名があるほど、魔物を追い払う力があると考えられているほど大きな葉が特徴だ。

 

何年か前の「季節の花めぐり」でヤツデと昆虫の驚異の営みの話があった。この時期、蜜を求めてヤツデにやってくるのはアリ・ハエ・アブでよく晴れた日に限られる。黒っぽいそれらの虫は、寒い日でも日差しがあれば体を温め活動できるからだ。

 

それらの虫にとってヤツデの蜜は冬越しのための貴重な栄養源。ヤツデにとってはライバルとなる花が少ないから虫たちを独占し確実に花粉を搬送させることができるという。自然の営みは実にうまくできているものだ。

 

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今年の流行語大賞は「ワンチーム」だった。この秋のラグビーW杯で日本中を沸かせた日本代表チーム“さくらジャパン”の結束力を高めるための合言葉だったのだ。それに関して入院中に読んだ新聞記事に大いに感じるところがあった。

 

メンバー31人のうち外国出身が15人。文化も背景も違う選手が、どうチームの一体感を生むかが課題であった。その一環として7月の宮崎合宿ではリーチ主将ら全員が神社にある巨大なさざれ石を見学。岩の前で君が代を歌い、その意味の理解を深めたという。

 

細かい石(さざれ石)が固まって大きな岩つまり巌(いわお)になる。多様性の集団がワンチームになる。彼等はこうして君が代を覚え歌うようになったという。「君が代は/千代に八千代に/さざれ石の巌となりて/苔のむすまで 」彼らは「わが友は、千代に八千代」の魂でスクラムを組んだだろう。

 

中学校の時代にロシア民謡こそたくさん教えられて、ホームルームの時間に歌ったが、ついぞ国歌「君が代」を小学校から大学を通じて学校で歌ったことがなかった。子どもの頃は相撲の千秋楽の日に歌う歌くらいにしか思っていなかった。

 

ワンチームと君が代に関する記事を読んで、日本国民として何だか気恥ずかしい気分になった。

 

クマさんの冬眠

f:id:mikawakinta63:20191213155617j:plain       3.4日前のニュースで新潟県の山中の診療所の倉庫に熊が冬眠していたのが見つかったと報じていた。ここみよしでは、2週間も無届でクマさんが冬眠をしてしまった。きょうから17日までは冬眠の中休み。急な冬眠だったので、残務整理やら、冬眠が長引いた場合のボランテァの仕事の引き継ぎが待っている。

 

冬眠に至ったワケは、心臓の弁のひとつがまともに働くなったのを10数年間薬の投与でだまして来たが加齢で効かなくなった。手術が必要になった。みよしの市民病院では対応不可。豊田の厚生病院へ転院ということになった。

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 きょうの日記は11月29日にアップすることが出来なかった分の復活だ。♪三日遅れのたよりを乗せて・・・どころか、2週間遅れの便りだ。手術の日取りが決まらないので今後はしばらく、不定期の日記となりそうだ。

 

今週はきのうまで爽やかに澄みわたった秋晴れの日が一日もなかった。きのうは鉛色の空に木枯しが舞いまさに初冬を象徴するような日だった。4年前の11月28日の夕暮と比べると雲泥の差だ。11月も余すところあす1日だけ。あさってからは師走12月だ。みよしの野のモミジの紅葉もようやく本番を迎えたところだ。つい、こんな童謡が口ずさみたくなる。

 

♪真っ赤だな 真っ赤だな 烏瓜(カラスウリ)って真っ赤だな モミジの葉っぱも真っ赤だな

 ウォーキングしながらこの童謡の世界に巡り合えるなんて、三好丘はホントにすばらしい。ところで、普段、何気なく使っているが「紅葉(こうよう)」と「紅葉(もみじ)」の違い、「モミジ」と「カエデ」の使い分けをこの季節になるといつも迷うのだ。先日、ラジオで説明していたので、これからはそれを参考にしようと思っている。

● 紅葉(こうよう)と紅葉(もみじ)の違い                 〔こうよう〕落葉樹が冬に備えて秋に紅や黄や橙に葉の色が変わること。従って、紅葉、黄葉、なども含まれる。〔もみじ〕 こうようの中で紅色の目立つカエデの中の特定の種類をいう。

 ● モミジとカエデの違い

植物の分類上ではカエデとモミジは区別しない。

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ラジオ深夜便によるときょう11月29日の誕生日の花はイチョウ。生長すると高さ30mにもなるこの木、花よりも晩秋に葉っぱが黄色く色づくことの方が人を引き付けるので、この時期に誕生日の花に選ばれただろう。木にはオスとメスがあり、メスの木は花の後に実(銀杏)がなる。

 

クマさんの日記からイチョウの画像をピックアップしてみた。

 

 

ローマ法王の訪日に思う

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今週に入ってぐずつき気味の天気が続く。幸いこの地はお湿り程度の雨だが、東京では雨降りが続いているようだ。「さざんか梅雨」とでも言おうか。

 

この時季ウォーキングしていると、“鳥の目”的視野に気をとられ、木々の紅葉・黄葉ばかりに目を奪われがちだ。一歩野や林に踏み込んで“虫の目”的視野で覗き込むと、意外や意外、「目からウロコ」の連続だ。何年も前から通った豊田・藤岡の緑化センターの「季節の花めぐり」でのレポートだ。

 

柊(ヒイラギ)

ちょうど今頃の季節、晩秋から初冬にかけて花をつけることから、「木」と「冬」を組み合わせて「柊」ヒイラギになったといわれる。あのトゲばかりが印象深いが、実は白い美しい花が咲く。何年も前、緑化センターでの季節の花めぐりの際初めて見た。それが、冒頭の写真だ。

 

その鋭いトゲで邪気を払う木とされあちこちのお宅の門の片隅などでよく見かける。また、2月の節分の時に枝葉を戸口に立ててその葉っぱのトゲで鬼を追い払うとか、イワシの頭を枝の先端に刺してその匂いで鬼を退散させるといわれるヒイラギ。そんな用心棒的な印象ばかりだった。

 

ガイドの先生からこんな説明もあった。老木になると葉っぱのトゲがなくなり葉も丸くなる。角(かど)がとれる。”歳をとると人間角が取れて丸くなる”というのはヒイラギの葉から来ているとか。ことほどさように話題にコト欠かないヒイラギ、おまけにこんな白い美しい花が咲くとは・・・。 用心棒みたいないかつい男に可憐な奥さんがいたことを知った時の驚きみたいだ.

 

茶の木

茶の木といえば茶摘みとか自分が飲むお茶のことくらいしか思い浮かばないが、茶の木には花が咲くという、当たり前のことを改めて知った。そして、花といい葉っぱといいサザンカとよく似ている。ネットで調べるとどちらもツバキ科だ。それもそのはず、サザンカは「山茶花」と書く。サザンカは茶の花の一種ということではないか。えらい発見をしたような気になった。

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ローマ法王に上を下への大騒ぎのおもてなしと報道ぶりが、この3.4日続いた。宗教と政治の関係が不勉強の上、カトリック信者でもないクマさん、そんな大騒ぎするほどの人物かなと疑問を持つ。核廃絶を目標とすることについてはバチカン市国も日本も意見一致だ。ただ、そこに至る道筋は宗教家と政治家で違うことが浮き彫りになった。

 

法皇は広島でのスピーチで「核抑止」自体を否定し、首相官邸核廃絶のスピーチをしたのは、バチカン市国の元首としての外交辞令か、宗教家としての説教か知らないが、「核兵器禁止条約に署名をしないで背を向ける安倍さんはどう聞いた」と皮肉を込めたメディアの論評もあった。

 

日本の安全保障に責任を負う安倍さんとしては「米国の核の傘の下」という現実的な対応をするしかないと思う。そんなら、いっそ全世界の国家元首を宗教家に任せたら、人間同士の憎しみもなく争いもない世界になるだろうか?理想を説く宗教家と現実的な世界に生きる政治家とは決定的に立場が違うと思う。

 

イタリア旅行でバチカンを訪れ、サンピエトロ大聖堂や博物館を見学した。見学者が長蛇の列をなしているを見るだけでも、バチカンローマ法王の存在感の偉大さに圧倒されたが、「上を下への・・・」には疑問を持つ。

 

早まるな!免許証返納

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11月最終週の始まり。来週はもう12月、月日の経つのが何と早い事か。立憲民主党のレンポウさん、民主党時代の事業仕分けで「1位でないとだめですか?2位ではだめですか」とやって物議を醸した。愛知県で第2位の紅葉スポット岩屋堂公園、コンピューターの性能を評価するデジタル的なものと違って、人の感性が評価する景色の素晴らしさ。2位でもいいものはいい。ということで、きょうも岩屋堂の登場となった。

 

おととい23日は勤労感謝の日。つい先だってまで米国の感謝祭(Thanksgiving Day、11月の第4木曜)を占領軍に押し付けられてできた祝日とばかり思っていた。ラジオの「今日は何の日」を聴いてわかった。                                       

 

日本にも戦前から米国と同じように収穫に感謝する「新嘗祭」(にいなめさい)があった。天皇が国民を代表して農作物の恵みに感謝する儀式だったという。今年は新天皇が即位後最初に行われる特別な新嘗祭大嘗祭として行われた。占領軍から排除命令が出され表紙をかえてできたのが、勤労感謝の日ということらしい。

 

毎年、11月22日の「いい夫婦の日」23日の「勤労感謝の日」が来るたびに何年か前にメルマガで読んだこの簡単な一文が思い出され毎年日記に書き綴って心新たにしている。日常の生活の中で「ありがとう」この一語ほど「いい夫婦の日」「勤労感謝の日」にふさわしい言葉はないと思う。

                          身近な人に    「ありがとう」

                            いつものことに   「ありがとう」

                               ありがとうは決して

                              言い過ぎることのない言葉です

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ラジオ深夜便によると11月23日の誕生日の花はピラカンサ。5月に花が咲くがあまり目立たない。ウォーキングの沿道では10月の初め頃から火のような真っ赤な実が人目を引いている。枝にはいっぱいとげがある。バラ科トキワサンザシ属。

 

ウォーキングの沿道では、冬になっても、美味しそうな外見に拘わらず、いつまでもピラカンサの実は残っている。まずいからだそうだ。美味しくて一度に鳥に多量に食べられ一カ所に排泄されると、散布範囲が限定されるだけでなくピラカンサ自体の生育にも不利になるからだそうだ。食べてほしいが、少しにしてほしい。それが、美味しそうな外見とまずい中身。とは季節の花めぐりでの指導員の説明。

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先週の新聞記事の中で「桜を見る会」のように目立たないが、我々にとっては朗報とでもいえる記事が日経デジタル版に出ていた。見出しは「2人乗りEV20年に公道走行OK]

 

今年になってクマさんの日記でも高齢者の運転に関して、5月8日高齢者の運転事故防止談義、6月4日第三次交通戦争、10月2日斜に見る高齢運転者の事故防止などいろいろカキコして来た。どのカキコにしても行きつく先は高齢者の安全運転サポート車や最高速度を低く抑えた2人乗り、1人乗りEVの普及だった。

 

1人乗り、2人乗りEVの社会実験は豊田市の市街地と山間へき地の両方で行われており、これも日記で取り上げた記憶がある。新聞記事によれば、社会実験の段階から、来年初めにも、一歩前進本格的運用の段階に移るということだ。

 

国交省では20年初めに法改正し、2人乗りEVを軽自動車より一回り小さいサイズに区分し、一般道のみ走行可とするようだ。(社会実験では指定された地域のみ走行可とされている)原付バイクに区分されている1人乗りEVは既に実用化されており、トヨタでは1人乗り、2人乗りを20年冬頃から発売予定。経産省では20年度から購入費用の一部を補助する予定とのことだ。

 

10月のカキコでは、杉良太郎加山雄三が免許証を返納したことが話題になり,あの人たちは、お抱え運転手がいるから痛くも痒くもないわなあ。とカキコした記憶だ。お抱え運転手に縁のないわれら「待てば海路の日和あり」だ。免許証の返納、急ぐことはない。セダンだのワンボックスだのSUVだの、そんなのいらん。小型EVでけっこうだ。免許証返納早まるな!だ。

 

ちょっと おかしくないか!?

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朝のウォーキングを終え一服した頃から、冷たい雨が・・・。うすら寒さを覚える。きょう11月22日は二十四節気の「小雪」。本格的な冬の訪れではないが、北国から雪の便りが届く頃。雪といってもさほど多くないことから、小雪といわれたものだろう。陽射しが弱くなり紅葉が散り始めるころで、次第に冷え込みが厳しくなってくることになるといわれる。この冷たい雨はそのサインだろう。

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 木枯しが多少収まったおととい、思い立って瀬戸の岩屋堂公園の紅葉を見に行った。家から車で30分ほどだ。愛知県内2位の人気の高い紅葉スポットとの触れ込みだ。多治見からでも車で30分程度の距離で子どもの頃から馴染みのある観光スポットだ。

 

岡崎・高蔵寺間の愛知環状鉄道が敷設される前は、国鉄バスが岡崎・豊田・瀬戸・多治見間で運行されていた。60~70年前の子どもの頃、学校にプールがなくバス(当時は省営バスと云っていた)に乗って、岩屋堂の川をせき止めて作った天然プールに遊びに行ったことを思い出す。このプールは今も健在だ。

 

静かな渓谷の中を流れる鳥原川沿いに架かる鮮やかな紅葉のアーチを眺めながら、ゆっくりと散策を楽しめる。何度も訪れているが、天然の大きな岩のほこらである岩屋堂や瀬戸大滝や展望台は、恥ずかしながら行ったことがない。このシーズンは紅葉を眺めるだけで堪能できる。

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今週の国内政治・社会面での主役は何と言っても安倍総理だ。「桜を見る会」問題と総理在職期間憲政史上最長期間到達記録だ。「桜を見る会」に関していえば、一強の驕りだ、緩みだとの非難は当然だと思う。しかし、今の日本の置かれた状況を見回したら、世界における日本の存在感は相対的に下がる一方(GDP,先端技術の応用、青少年の学力、大学総合ランキングなどなど)おまけに、年々想定外の災害に見舞われている。

 

そんな状況を憂える物言わぬ国民がワンサといる中で、5千円のパーティー会費がどうのこうのと選良が大声張り上げてやっている。メディアもメディアで、そうしたことばかりを、これが正義といわんばかりに取り上げている。ちょっと、おかしくないか!?

 

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在職最長の安倍さんに対して、ほとんどのメディアは「日本で一番長く首相をやった人。何をやったかわからない」そんな評価を下している。中日新聞は2番目に長い桂太郎は「日英同盟」3番目の佐藤栄作は「沖縄返還」4番目伊藤博文は帝国憲法発布5番目吉田茂サンフランシスコ平和条約 1番安倍は?と報じている。

 

別に安倍さんに肩入れするつもりはないが、明治維新後欧米列強に追いつけ追い越せの時代や戦後の復興期とは違い人口も減少、成熟期にある現在その任にあたる彼を先人と同じ土俵に並べて評価することに無理があると思う。しかも、まだ通過点にすぎない。後世の教科書が「令和の政治と社会」をどう伝えるかによって評価しても遅くないと思う。

 

とかく、メディアは物事を短絡化したり、ワンフレーズ化して耳目を集める傾向があるような気がする。時の政権を批判したり貶めたりすることが、正義といわんばかりに。ちょっと、おかしくないか!?

ベネチアの「自然との力くらべ」

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 木の葉を吹き散らし、グラウンドゴルフに興ずるじじばばの帽子を吹き飛ばす北よりの冷たい強風のきのう、きょう。本格的な木枯しの季節だ。きのう11月19日の誕生日の花はムラサキシキブラジオ深夜便が伝えていた。

 このムラサキシキブ、三好丘に越してきて初めてその存在を知った。この時期の誕生日の花だが、この地では9月の初め頃から丘陵の土手で紫色の実の清楚な美しさが目立つ花木だ。6月頃に花が咲くそうだが、あまり目立たなく気がつかない。                               

 名前の由来は実の美しさを平安の美女紫式部に例えた説と紫色の実をびっしりつけることから紫敷き実(むらさきしきみ)と呼ばれていたものが、 いつのころからか紫式部を連想させて「紫式部」となっていった、との説があるそうだ。

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1週間ほど前の朝の民放ラジオで、近いうちに大物俳優が薬物で捜査、逮捕されるとパーソナリティーが伝えていた。図星だ。鳩山元総理が彼のツイッターで、今回の彼女の逮捕は政権のスキャンダル隠しだと、つぶやいていたそうだが、宇宙人もときには図星だ。

 

NHK大河ドラマ、今年の「いだてん」は薬物使用のピエール滝に代役を起用する羽目に、来年の「麒麟(きりん)がくる」に出演する沢尻エリカが薬物所持で今般逮捕された。もうこうなったら、芸能界は出演者に薬物検査となるかもしれない。スポーツの世界はドーピング検査、大臣登用者は身体検査。「名もなく、貧しく、美しく」生きてる我らには何ら関係ないが・・・。

 

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おとといの日記で「自然との力くらべには限界」と題して大学の先生が新聞に寄稿された文を引用してカキコをしたが、その後ネットの動画でベネチアの洪水の様子を見た。大変な様子だ。

 ベネチアへは2013年春ツアーでバス、2014年秋列車利用でミラノから入った。街中に脚立が並んでその上にところどころで板が渡してあった。ガイドの説明では満潮で浸水することがしばしばあり、そのときには板の上を歩くとのことだ。

ベネチアは、百以上の小島が数百の橋や運河でつながれた水上都市で、ユネスコ世界遺産にも登録されている。今月の12日には町の85%以上が浸水したそうだ。原因は、満潮と南風と低気圧が重なることで潟内の水量が増えたことだそうだ。

 ベネチアの洪水は年々増加している。その理由は、温暖化による海面水位の上昇と、地下水のくみ上げ過ぎやプレートの沈み込みによる地盤沈下といわれている。100年ほどの間に海面水位が約30cm上がっているそうだ。 イタリア政府は、水路に可動式のゲートを設置して、海水の浸入を防ぐ工事を開始以来10数年かかっているが、いまだ完成には至っていない。画像にあるような惨状だ。

 ベネチアの「自然との力くらべ」、どんな展開となるなろうか?

 

 

 

「自然」との力くらべには限界あり

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週末は小春日和が続いた。豊明から後輩が訪ねてきた。ウッドデッキでお茶をしていても快適な陽気。その来客に教えられて庭の垣根に山茶花が咲いているのを知った。何となく過ごしている日常を指摘されたようでばつが悪かった。三好丘のナンキンハゼの並木が美しいからといってわざわざ見物に来た。いまはアメリカ楓の方が美しいので、そちらも併せて案内。

 

歩道橋の上から眺める。目の覚めるような赤色や橙(だいだい)、黄色のグラデーションを描き出している。正式名は紅葉葉楓(モミジバフウ)。別名アメリカ楓(ふう)というそうだ。金沢の広坂通りがアメリカ楓通りといって、全国的に有名だそうだ。偶然にも6年前のきょう18日に撮った広坂通りのアメリカ楓の写真があった。地域による気候の差があるものの、三好丘の方に軍配があがる。

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名古屋刑務所を取り囲むように三好丘の住宅地が広がり、ナンキンハゼ、アメリカフウ、エンジュなどの街路樹が季節毎の彩を演出している。新緑の季節もいいが、やはり秋の紅葉・黄葉・褐葉が一番魅力的だ。

 

ナンキンハゼは実と種子にそれぞれの風情がある。やや赤味を帯びた新緑、夏の緑色の実を経て、晩秋や初冬に茶色の実から、割れて出てくる丸くて白い種子。これらの白い種子が青空の下で、小さな鈴玉のように揺れる姿は、いじらしくて可愛いものだ。

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先月台風19号や21号そして関東・東北の豪雨が矢継ぎ早に襲って来た時に、こんなことがふと頭によぎった。人種間の紛争に巻き込まれたり、貧困にあえいでいる人たちは命がけで豊かな国へ逃れて行く。やがては、日本人も自然との闘いに負けてどこかに逃れて行く羽目に陥るのではないかと。

 

そんなことが頭の片隅にまだ残っている、おととい土曜の中日新聞朝刊カルチャー面「時のおもり」欄に大学名誉教授池内了氏がクマさんの心配に応えるような一文を寄稿していた。「自然と力比べしない知恵」「国土強靭化には限界」との見出しだった。以下はその内容の要約。

 

日本は地理的に二つの意味での過酷な自然現象と付き合わねばならない国。一つは、地球を覆うプレートが互いにぶつかり合い沈み込む場所にあるため、地震と火山の巣となっている。もう一つは、上空を流れる偏西風の影響による激しい気象変動から逃れられない。

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地震、火山の爆発、集中豪雨、台風、高温多湿な気候、豪雪といった過酷な自然現象と付き合わねばならない「負」の面があるものの、季節ごとに大きく変化する自然が実り豊かな日本にしてきた。自然の厳しさと素晴らしさは切っても切り離せない関係にある。

 

しかし、近頃になって、百年に一回のはずの気象異変が毎年のように頻発している。「天災は忘れぬうちにやってくる」時代を迎え、災害情報の的確な伝達、そして自然と力くらべしないこと。この二つを先人が残した教訓として活かすことだ。昔と違って格段に進歩した災害情報は、今や多すぎて錯綜する情報をどう整理するかの方が課題となっている。

 

問題は、現在もなお自然と力くらべしようとしていないかということだ。堤防の整備でかつての水害に比べれば死者の数は確かに減った。しかし、そのまま国土強靭化計画へと拡大して、頑丈な堤防で河川の氾濫を押さえ込もうとするような自然との力比べをしていないか検証すべきだ。今回の堤防決壊が大河川と中小河川の合流地点で多く起こったことは強靭化の限界を示している。遊水池とか放水路というような、柔軟で比較的予算のかからないような治水対策も併せて検討すべきでないか。

 

直球勝負ばかりが能でない。変化球をまじえてこそ、いい結果が出る好投手ということだろう。