生かされて生きる

mikawakinta632007-10-13

きのう、「老い仕舞」なんてカキコをしたら、きょう配信されたメルマガでは「何を甘っちょろいことを云っとるか!」
と”喝”を入れられた思いだ。自分にとって、こんなタイミングよく感動的な話を読み流すだけではもったいないので、少々長いが日記に書き留めた。


その内容とは9月30日に金沢で行われた講演会での講演録だった。演者は今年40歳を迎えた進行性筋ジストロフィー患者四方健二さんという詩人。演題は「生かされて生きる」。 ステージの上の移動式ベッドからの講演であった。
彼は言葉を発することができないので、額に信号を伝えるためのコードを貼り付け「まぶた」を開いたり閉じたりしてパソコンに文字を書く。それを、パソコンの言語変換ソフト再び音声に換えて講演をするそうだ。



                       <講演要旨>

私は進行性筋ジストロフィーという難病を背負った重度の身体障害者です。全身の筋肉が萎縮し、破壊されその機能を失ってゆく病気です。7歳の時発症し、中学生・高校生の頃は音楽サークルや劇団そして生徒会活動にも熱をいれていました。
しかし、進行性の病気とは、本当にやるせないものです。どうあがこうと、病気の進行には抗えず、歩けなくなり、車椅子へ。そして、ついには寝たきりの生活を送る事になってしまいました。



この病気の本当に恐ろしいところは、その短命さにあるのです。かつてこの病気は、二十歳までの命とされていました。
実際に、二十歳を迎える前に力尽き、亡くなっていく仲間の人たちを、数多く見送ってきました。
その中でも、最も辛かったのは、高等部2年の時の親友の死でした。私は彼に、何ひとつしてやれませんでした。
あまりにも、自分が情けなく思え。無力感に苛まれたものでした。
また、この彼の死は、私に拭い去れない恐怖を植えつける事になりました。「次は自分かもしれない」という、重苦しい思いが。現実として、リアルに圧し掛かってきたのです。今でも、それは重い影となって、私にまとわりついています。

 

そんな私も、今年で四十歳になります。かつて、私の命は二十歳までだと言われていました。それを思うと、四十歳という年齢が、大変重いものに思えてきます。ここ二十年間の経験は、本当に貴重な経験ばかりだったように思います。

 

私は自発呼吸が出来ません。気管を切開して、人工呼吸器を使用しています。気管を切開したことで、私は声を失いました。そのために、思うに任せない事も沢山あります。ですが、これは生きていくため、仕方がありません。
夢の中での私は、いつも当たり前のように喋っています。この夢こそが、私の複雑な心を物語っていると言えるのではないでしょうか。

 
さらに、私にはものを飲み込む力がありません。必要な栄養や水分は、全て鼻から入っているチューブを通して胃へと流し込んでいます。身体を動かせない、声は出せない、飲めない、食べられない。こうして挙げてみると、なかなか重いものがありますね。人によっては、これを絶望だと言うのかもしれません。

 

しかし、私はそうは思っていません。私には、充実した毎日があります。絶望は陰へと追いやられ、心を支配することはありません。とはいえ、この病気によって、私は多くのものを失いました。心を許し合った仲間も、次々と倒れていきました。わたし独りだけが生き残り。時には、それを仲間への裏切りだと感じてしまう事さえあります。



それでも、失うことばかりではありませんでした。筋ジストロフィーである事により、得られたものもあるのです。
これまでの私の人生には、身体的にも精神的にも辛い事が数多くありました。不安と恐怖に押し潰されそうになった事も、幾度となくありました。苦しい経験ではありましたが、逆にその苦境の時にこそ、私は大切なものを得られたように思います。



「これまでか」と、死を覚悟するまでに疲弊していたある日のことです。その日も、澱んだ薄暗い病室の中で私は、それ以上の闇に沈んでいました。ふと何かに呼ばれたような気がして、視線を向けると。そこには、忘れられた一輪挿しに、萎れた桔梗が残されていました。私は、「自分と同じ運命か」と、悲観の眼差しで桔梗を眺めていました。ところがです、朽ち果てるばかりだと思っていたその花が、私の目の前で力強く蕾を開き、生きいきと花を咲かせたのです。
諦めることを知らず、与えられた命を誠実に全うしようとする姿勢に、私の心は震えました。私の中で熱い力が湧き上がってくるのを感じたのです。生きたいと、強く思いました。



すると、どうでしょう。私は、気づかないうちに、私自身の作った殻に閉じこもってしまっていたようです。自分だけの世界しか見えなくなってしまい。自分は孤独だと思い込んでしまっていたようです。
しかし、広い視野で周りがよく見えるようになると、それは大きな間違いであったと気がつきました。多くの人の力が、その真心が、苦しみに喘ぐ私を、私の命を支えてくれていたのです。深く感謝しました。


 
私は支えてくださる皆さんの真心を追い風に、心ある人たちと力を合わせる事で、この窮地を乗り切る事ができました。
私は、これまでの人生を通して、生かされている自分というものを、強く意識するようになりました。
私は毎日、多くの人々に支えられて生きています。生かされています。また、私は、自然と対峙するたびに、自然の大きな懐に包まれている事を感じるのです。生かされている安心感を覚えるのです。



私は、生きている事の喜びを、生かされていることの幸せを。この身の全てで、この心の全てで受け止めて生きています。
だからこそ、何気ない毎日が嬉しいのです。愛おしいのです。今ある事に、感謝して。与えられた日々を、精一杯生きる。
不平不満が無いとは言いません。嫉妬もすれば、妬みもします。しかし、私は生きているのです。生かされているのです。



私は、生かされてここにいます。生かされている事に感謝しつつ、自らも生きる姿勢を持って生きています。そうしてこそ、豊かな人生を得られるのではないでしょうか。私は詩作という生きがいを咲かせ、心豊かに、満たされた日々を送っています。私は生きています。今は、自信を持ってそう言えます。自分の確固たる意識を基に、私らしく、あるがままに生きています。私が私であることに、感謝せずにはいられません。


 
私は幸せです。私は恵まれています。この人生を与えてくれた全てのものに、全ての人々に、心から感謝しています。
私にも、明日がやってくるのです。私は、幸せです。